永遠に赤ちゃんな私と小学生な娘さん。

先日、朝の慌ただしい時間帯に娘と息子と言い合いになり、
中1娘に、
「勝手に背負っているのはお母さんだ、
私達に罪悪感を押し付けるのはやめてほしい」

みたいな事を言われた。

朝家事バタバタやりながら、
朝ごはん作って、暖かいうちに食べて欲しくて
早く起きろと連呼して、子ども達に「うるさい」
と切れられ、腹が立って、延々、朝家事の大変さを語ったから。
その他いろいろ諸々、なんで今いう?みたいな事をまくしたてたから。

曖昧にしか思いだせない程、
衝撃的で、感情のめまぐるしい朝でした・・・

正論すぎて、ぐうの音も出なかったのだけれど、
一瞬それを受け入れられるキャパが私にはなく、

子どものくせに、とか
私は母親だ、生意気な事言ってんじゃねぇ、とか、
私は大人なんだから、とか、
とにかく、悔し紛れにいろいろ感情が溢れていて、
とても冷静ではいられなかった。
いろいろ反論して怒り狂ってた。

ゴミ出ししなきゃ、玄関掃除しなきゃ、仏壇にお線香あげて
神棚の榊の水を変えないと・・・

と、バタバタと朝のやる事に追われながら、
一旦、彼女と距離を置いて自分を落ち着けようと努めたら、
自分の情けなさにうんざりしてきた・・・

とりあえず、居ても立っても居られなくなり
すぐさま娘に謝った。

「あなたの言う事が正論すぎてぐうの音も出ませんでした。
ごめんなさい。
お母さんは子育てがとにかく苦手です。
でも、あなはたお母さんより数段上手くやれると思うよ。
よかったら子ども産んでみてくださいね。」

と伝えたのです。
娘は「ハハハ」と笑っていました。

かっこよすぎる・・・
ちょいちょい思う、彼女のこの安定感。器の広さ。

私は、たびたび思うのです。
私の方が断然、不器用で器が小さくて、
年々彼女への甘えが増している。
そんな情けない私を母に選んで産まれてきてくれて、
有難いな✨✨と。

娘さんは、四柱推命の日柱(本質のところ)が
壬(みずのえ)海の人なので器がとにかく大きい。
私は辛(かのと)宝石なので器がとにかく小さい・・・
でも、相互守護神といって、お互い守り合う関係性なのです。

スピリチュアル業界では、
自分の性質とか、境遇(親とかもろもろ)とか
自分の名前でさえも
「自分で選んでいる」
と言います。

でも、そんなん言われたって。
こんな境遇、選んだ覚えなんてねーよ!
って思いません??

私は師匠に
一元論と二元論の話を聞いて感じた
私なりの解釈を書いてみますね。

一元論とは、ワンネス。
全ては一つである。という考え方。
二元論は、陰陽、良い悪い、月と太陽、黒と白。
全ては両極である、という考え方。
本当は一元論なのだけれども、二元論を理解しないと
一元論には辿りつけない。

「自分で選んで産まれてきた」
というのは、宇宙視点の一元論、ワンネスな考え方であり、
自分の感情なんて全くない状態の魂存在から見た視点です。
(自分は地球の外側、宇宙にいて、地球を見てる感じね)

人はひとたび地球に産まれてしまうと、それらの意識を完全に
忘れます。
だから、
「与えられた命、与えられた境遇、運命、体はお借りしている」
不公平な世の中、陰陽の二元論、
私のモノは私のモノ、感情に支配された、思うようにいかない世界。

になってしまう。

だからさ、人間である以上、一元論を理解するなんて
本当に本当に難しい意識的な感覚なんですよね。

なのに、スピリチュアルな学びに触れると
自分がさも神みたいな意識になれたような氣がして、
愛で包まれた崇高な意識になれた氣がして、
偉そうな事言っちゃったりするじゃない??

そんなん、
ちゃんちゃら可笑しくない??
そんな簡単にその意識に飛べないですから。

だから、ずっとずーーーーっと学ぶんだよ。
学べば学ぶ程、自分の存在の小ささに愕然として
意識の低さに泣きたくなって、反省して、
だからこそ周りに感謝が深まるの。
こんなちっぽけな私の存在を受け入れてくれて
ありがとう、って思える。

日々、本当に感謝しかないです。

んんんーーー着地点ここだったかな?
何か書きたりない気もするけど、
また書きます♪



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