ベアー・コスチューム・カーレース
車の中に、クマがいた。
厳密には、運転席に乗り込み、エンジンをかけ車を走らせたところで、バックミラーにクマの着ぐるみをきた誰かが写っていることに気づいた。
どうやら器用にも後部座席の足元に潜り込んでいて、車が動き始めたのを確認するやいなや、姿を表したらしい。
「車を止めるなよ。さもないと撃つ」
しかもそのクマの着ぐるみは銃を握っていて、運転席に座る私の後頭部に向けて銃を突きつけていた。
「おい、冗談だろ」
「冗談か試してみるか?」
そんな度胸はない。
私は自分の額から汗が滴り落ちる感覚を覚えつつ、とにかく車を走らせた。
「次の信号を右だ」
「なんだって」
「いいから右だ。曲がらなければ……」
「わかった。わかったて!」
クマの着ぐるみの指示通りに、私は信号を右折した。
声がボイスチェンジャーのようなもので変えられていて、中の人が男か女かさえもわからない。
テディベアのような可愛らしいタイプのクマの着ぐるみで、口にはハチミツを模しているのか、黄色いよだれのようなものを表す布が縫い付けられていた。
「蚊加賀高河鹿駕邦だな?」
昔から舌を噛みそうだと先生や友達から言われていた自分のフルネームを呼ばれる。
銀行強盗か何かが行き当たりばったりで私の車に乗り込んだのではなく、しっかりと私がお目当てでこのクマの着ぐるみは私に銃を向けたらしい。
「な、何で俺の名前知ってるんだよ? 俺が何をした?」
善良な市民である自分に、こんな暴力的な脅しをされる覚えはない。
「ふん、二年前の事件を知らないか?」
「二年前?」
「ああ。──そこの十字路を左だ」
私は着ぐるみに言われた通りに車を走らせる。
「ある政治家が、横領と反社会組織との癒着を疑われ逮捕された。お前は彼を知っているはずだ。当時、銀行員だったお前が」
私は着ぐるみの言葉に、思わずごくりと唾を飲み込んだ。
「次も左だ」
どうする? 私は自問した。このまま車をガードレールにでもぶつけて、逃げ出すか?
【続く】
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