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戦争PRするおぞましい現実

今回の読書ノートは「戦争広告 代理店」です。

ここ数年、ロシア・ウクライナ戦争、イスラエルのガザ侵攻、台湾・中国問題などで、日本でも戦争に関する報道が増えました。テレビで見る報道に疑問を持っていたとき、「戦争広告 代理店」というショッキングなタイトルを目にして読んでみようと思いました。
この本は絶版になっており書店から購入することができませんでした。近所の図書館で貸出予約をしましたが、順番が回ってくるまでなんと1年近くも待ちました。
日本もいつ巻き込まれるかわからない不穏な昨今、「戦争広告 代理店」というタイトルには引かれる人が多いようです。

一方的な「ウクライナ=善」「ロシア=悪」報道

ロシア・ウクライナ戦争が始まってからというもの、「ウクライナは可哀想な犠牲者」「ロシアは酷いことをしている」というようなウクライナ=善、ロシア=悪という一方的な報道が続いていました。

たとえばロシア軍に虐殺されたとする住民の遺体映像が流れ、視聴者の感情を刺激し、ロシア=悪という西側国際世論を確立しました。でも、これは本当にロシア軍がやったのかどうか、違うという証拠があるとの海外報道もあり、いまだ真偽不明だと思うのですが、その後どうなったのでしょう。きちんと検証して欲しいと思います。
また、「プーチン大統領の頭の中を覗いているのですか?」と、つい聞きたくなるような、全く根拠のない専門家の想像コメントはある意味、視聴者への「ロシア=悪」刷り込みであるとも言えます。
さらに、ウクライナ側からの一方的な戦況分析の説明は、第二次世界大戦時の日本の大本営発表を彷彿とさせました。

ロシア側の立場や事情を中立的に伝える報道はほぼ皆無でしたが、たまに、ロシア駐在したことがある元外交官の方とか鈴木宗男参議院議員のように、ロシアの侵攻にも理由があった旨の発言をする人がいました。でも、その方々は非国民とか頭おかしい人のような扱いを受けました。筆者には至極まっとうな見方・意見だと聞こえましたが。

たとえば、鈴木宗男参議院議員が、「ロシアが負けるはずない。ウクライナとの力の差は歴然。日本は日本の国益のために、ロシアが勝った後にどうロシアと向き合っていくかという日ロ関係を見据えて外交をしなくてはならない。」と言い続けていました。そうして、鈴木議員はロシアを訪問して、日本維新の会の除名処分を受けました。筆者は、鈴木議員の意見は日本の国益を考えたらその通りだと思って聞いておりました。

このようなウクライナ=善、ロシア=悪という一辺倒の報道は、おそらくアメリカからウクライナ支援を指示(命令)されているであろう日本政府、その意向に沿って報道しなければならないマスコミ。勧善懲悪で視聴者を煽って視聴率を取りたいテレビ局の立場があるから仕方がないとは思いますし、大人の事情も理解できますが、ゲンナリします。

マスメディアのプロパガンダ

しかし、「戦争広告 代理店」を読んでみて、メディアのプロパガンダはゲンナリでは済まされない、戦争拡大の一因となっていることを知りました。メディアは傍観者ではなく、もはや「情報戦争」の当事者である認識と責任感が必要だと思います。戦争で死んでゆく人々、避難民になる人々に対する責任の一端があると言えます。

実際に、ボスニア紛争より先に発生したクロアチア内戦では、内戦が本格化した1991年9月ー10月当初にクロアチアからのセルビア人難民650人に意識調査したという結果があります。

質問:民族衝突がエスカレートした理由は?
回答:
・マスメディアのプロパガンダ
・政治指導者の政治戦略
・当局による恐怖心の煽動、身近な人の逮捕
・武力衝突

このように「マスメディアのプロパガンダ」が紛争拡大の一因になったという調査結果が出ています。調査結果を紹介した本では、セルビア紛争でも同じことが言えると書いています。
実際、「戦争広告 代理店」のPR会社はクロアチア共和国政府と契約をしていましたし、セルビア紛争ではボスニア・ヘルツェゴビナ共和国政府と契約しているのです。

この本を読み進むにつれて、なんとも気分が悪くなっていきました。中立的な言葉ではその時の感覚を伝えられないので少し下品な言葉を使いますが、「反吐がでるほどの嫌悪感」を感じました。
多くの人が死に、多くの人が難民となった紛争(内戦)を、あたかもスポーツのスター選手や芸能人を売り出すのと同じようなビジネスとして食い物にするおぞましさが拭いきれませんでした。

戦争広告 代理店:PR会社

アメリカのPR企業

この本で書かれているPR会社はアメリカのルーダー・フィン社、主役は当時幹部社員だったジム・ハーフという人です。この本によれば、PR企業のPRは、Public Relationsの略で、きわめてアメリカ的な概念であるために、未だにこれといった日本語の訳語はないと書かれていました。

日本の広告代理店と比べても、アメリカのPR企業がとる手段は、実に幅広い。CMや新聞広告を使うのはもちろん、メディアや、政界、官僚の重要人物に狙いを絞って直接働きかける、あるいは、政治に影響力のある圧力団体を動かす。その他何でも、考えられるかぎりのあらゆる手段でクライアントの利益をはかる。

「戦争広告 代理店」p.13

この本は約20年前に発行されたので、今では上記の手段にさらに、「ネット空間」「SNS」が追加されるのでしょう。

この本では、ルーダー・フィン社がボスニア・ヘルツェゴビナ共和国とPR契約して、文字通りあらゆる手段でもってクライアントであるボスニア・ヘルツェゴビナ共和国を「善」、セルビア共和国とボスニア・ヘルツェゴビナ共和国内のセルビア人勢力を「残虐非道な悪」に仕立て上げ、アメリカ世論ばかりでなく国際世論まで操作した手段が書かれています。

この本が書かれたときには既にジム・ハーフは独立していて、自身のPR会社を経営していたそうです。その会社のクライアントは、スイス政府、ドイツのハンブルク市、ブラジルの飛行機メーカー、アルバニアの実業家、ヨルダン政府などでした。
国家や政府をクライアントとする一つのPR分野として確立したビジネスになることを実証してみせたのは、このハーフ氏の業績だと言われているとのことです。

日本ではどうなのだろうと思い、「電通 日本政府」でWEB検索してみたら、「dentsu PR consulting」という会社がヒットしました。トップページには:
「Service   政府・官公庁・自治体」
「市民・国民への正確な伝達から、理解、合意形成へ」
「意識啓発や合意形成などのソーシャルキャンペーンから、観光促進などのマーケティングキャンペーンまで幅広く対応します。」
と掲載されていました。

今では日本の広告代理店も、アメリカのPR企業の概念と同じような仕事をするようになってきているのですね。

アメリカのPR会社が作った「悪玉:セルビア」

セルビア共和国とボスニア・ヘルツェゴビナ共和国という小国がバルカン半島にあります。旧ユーゴスラビアから分離独立してできた国です。サッカーを好きな人ならストイコビッチ(セルビア)とオシム監督(ボスニア・ヘルツェゴビナ)の国として知っているでしょう。または、モデルのような美男美女の多い国、として知っている方もいるかもしれません。

この両国は約30年前に凄まじい戦いをしています。そのとき、セルビア人の行為が残虐非道だとして世界中で報道され、セルビア共和国とセルビア人勢力は「侵略者」で「残虐非道」な民族だというイメージが作り上げられました。
ボスニア・ヘルツェゴビナ側のムスリム人も同様のことをしていたのに、セルビア人だけが一方的に悪者にされたのは、ジム・ハーフのPRが大きく影響したということです。

ボスニア・ヘルツェゴビナ共和国の戦争PR活動

ボスニア・ヘルツェゴビナ共和国がアメリカのPR企業を使うことになったきっかけは、アメリカのベーカー国務長官から「西側の主要なメディアを使って、欧米の世論を味方につけることが重要」というアドバイスをもらったからです。

PR活動は次のように行われました。

■メディアと政官界向けのニュース配信システムを作り、有利な記事が掲載されるようにした。以下のような配信先をターゲットにした。この効果はあり、ボスニア・ヘルツェゴビナに有利な論調に誘導することができた。

・メディア
アメリカだけでなく、イギリスのBBC、フランスのル・モンド、ドイツと中東のメディアなど(日本は含まれず)。

・世論形成に力のありそうなあらゆる場所
大物議員、国務省官僚、国連の各国代表部、自然保護団体などのNGOなど

・大手メディアのジャーナリスト
ABC, CNN, ニューヨーク・タイムス、ウォール・ストリートジャーナルなどの記者。彼らを味方にし、彼らの影響力を使ってその会社全体の論調を有利に運ぶことができる。実際、その中からは便宜をはかってくれる記者も出てきた。

・各社の論説委員
ボスニア・ヘルツェゴビナ政府に肩入れし、この政府とだけ接触して、もう一方のセルビア人勢力からは情報をとろうとしなかった。そうして一方的な論調になっていった。

■PR手法
ボスニア・ヘルツェゴビナ共和国の外務大臣は英語が堪能でテレビ映りが良い。テレビのトークショーにおけるスポークスマンとして利用することにした。
テレビ画面でいかに効果的に表現するかレッスンを受けさせた。そういう技術があるかないかでは、視聴者に与える印象に天と地ほどの差が出るから。
実際に、外務大臣が見せる「流血の地からやってきた人間の悲しみと怒りの表情」という計算された演技テクニックは効果があった。

■キャッチコピー
「民族浄化」「強制収容所」という、多くの人がナチスのユダヤ人迫害を連想する言葉を使ってアメリカやヨーロッパの多くの人の感情を刺激する手段をとった。

キャッチコピー:民族浄化
セルビア人による「民族浄化」の事例を発信し続けた。
「市長の命令で5万人のムスリム人が追放された」
「セルビア人が殺したムスリム人の頭部をボールに見立ててサーカーに興じている」
「幼い子供たちを母親の目の前で切り刻み母親に感想を言わせる」
「ユダヤ人狩りを想起させるムスリム人の腕に白い腕章を付けるように命令した」

こうした「民族浄化」事例は明らかに大成功し、メディアだけでなく国務省のブリーフィングでも使われた。

キャッチコピー:強制収容所
イギリスのITNテレビ局がボスニア・ヘルツェゴビナにあるセルビア人勢力の「強制収容所」に入れられたムスリム人映像を放映し、世界的に大きな衝撃を与えた。実際は普通のいわゆる「捕虜収容所」であったが、そこで撮った「痩せた上半身裸の男が鉄条網ごし」に写っている写真は、まるでナチスの強制収容所の写真を想起させるものだった。

ジム・ハーフはこれらを徹底的に利用した。ブッシュ大統領が記者会見で「世界は二度とナチスの強制収容所という神をも恐れぬ蛮行を許してはならない」という発言をするほど、セルビア人をナチスになぞらえた極意悪非道な悪玉に仕立て上げることに成功した。

しかし、クロアチア人勢力もムスリム人勢力も大同小異で同じような「捕虜収容所」を作り、セルビア人を収容していたという証言があってが、こちらは国際的なニュースにはならず、世界各地に伝えられることはなかった。

このようにして、アメリカだけでなく世界中で「セルビア人=ナチスのような残虐な悪玉」というイメージが固定した。ジム・ハーフのPRは大成功した。

では、実際にナチスがユダヤ人を収容したような「強制収容所」があったのかというと、あったという証拠はないようです。戦地で任務についていたPKO活動の人達の証言や戦後のハーグ国際裁判所の判決では、「捕虜収容所」はあったが、いわゆるナチスのユダヤ人を虐殺したような「強制収容所」が存在した証拠はない、ということになっています。

どの民族勢力も同じような残虐な行為をしていたが、セルビア人だけがマスメディアに叩かれたのは、あまりにも一方的だったと言われています。
ジム・ハーフのPRの影響です。

邪魔者の除去

ジム・ハーフは、ボスニア・ヘルツェゴビナ共和国に不利になる真実を語る者は誰であれ、徹底的におとしめて封じ込めました。国連事務総長、カナダの国連防護軍サラエボ司令官、国連PKOの明石氏なども標的になったようです。

カナダの国連防護軍サラエボ司令官ルイス・マッケンジーが貶められた手法は以下のようなものでした。

マッケンジーは「悪いのはセルビア人だけではない。戦っているすべての勢力に問題がある。」と繰り返し発言していました。また、「ムスリム人は国際世論を引きつけるために自国民を犠牲にするやり方をしていた。」というような発言もしていました。
それはジム・ハーフにとって見逃すことができない障害物だった。
マッケンジーは任務を終え、カナダ帰国の前に立ち寄った国連での記者会見の内容を障害除去の手段に使われてしまった。
国連での記者会見で「強制収容所」に関する質問を受けたとき、「何も知らない」と答えた。それが「強制収容所の存在を否定した」と解釈された。
ジム・ハーフはカナダの外務大臣に抗議の書簡を書き、「カナダ外相に抗議の書簡」というニュースネタを自作し、話題として提供した。そうして、マッケンジーへの圧力、世間の中傷、嫌がらせが始まり、定年まで数年を残して軍を辞めることになった。人生を狂わされた犠牲者だった。

参考:セルビア人とボスニア紛争

頭が痛くなるような複雑なバルカン半島の歴史と民族について、「よく知っている」という方は少ないと思います。旧ユーゴスラビアの分裂、内戦について簡単に紹介します。

ユーゴスラビア連邦は第二次世界大戦後に6つの共和国からなる連邦国家として発足しました。マケドニア社会主義共和国、セルビア社会主義共和国、ボスニア・ヘルツェゴビナ社会主義共和国、クロアチア社会主義共和国、スロベニア社会主義共和国、モンテネグロ社会主義共和国の6つです。
1980年に強力な指導者だったチトー大統領が亡くなったあと、各民族は独立を目指すようになり、凄絶な内戦を経て、現在では各共和国は分離し、旧ユーゴスラビアは完全に解体しました。2024年4月現在、スロベニア共和国、クロアチア共和国、ボスニア・ヘルツェゴビナ共和国、セルビア共和国、コソボ共和国、モンテネグロ、北マケドニア共和国の7つの国に分離しています。

旧ユーゴスラビアは日本の面積の約2/3ほどでした。それが7つの国に分離したのですから、それぞれの国の小ささが想像できると思います。その狭い地域に、スロベニア人、クロアチア人、セルビア人、ムスリム人、ハンガリー人、アルバニア人、ボシュニャク人、モンテネグロ人、マケドニア人、トルコ人、ロマ人という多民族が共存していました。
宗教も言語も異なっていました。

これらの国には、経済規模と人口が東京都や神奈川県に匹敵する規模の国はありません。だから、こういう例えは失礼かもしれませんが、北関東や南東北の各県が独立を目指して内戦を始めた、というイメージだと思います。福島県と茨城県が戦い、埼玉県と千葉県が戦う。どれだけ悲惨なことになるか想像できます。

ボスニア紛争

ボスニア・ヘルツェゴビナ共和国の民族構成はムスリム人、セルビア人、クロアチア人が混在していました。特に混在の強かったのはムスリム人とセルビア人で、この両者で内戦は起きました。ボスニア紛争(内戦)は3年半以上に及び、死者行方不明者が約10万人、難民・避難民は200万人以上にのぼりました。

三民族は長い歴史の過程で共存する知恵を生み出していた。それが崩れてしまった原因は何だったのか。その原因の一つに、「政治戦略とそれに追随するマスメディアのプロパガンダ」があると言われています。

内戦の経緯

1992年2月
ボスニア・ヘルツェゴビナ共和国の独立の賛否を問う国民投票をセルビア人がボイコットし、セルビア人vs.ムスリム人・クロアチア人が衝突した事が発端。

1992年3月末
ユーゴスラビア連合軍(セルビア人主体)が、セルビア人保護の立場から介入した。
クロアチア共和国軍もクロアチア人勢力支援のために派遣された。

1992年4月初め
EC(EU前身)がボスニア・ヘルツェゴビナの独立を認めた。
それで、内戦が激化した。

1992年5月
「民族浄化」に煽動された国連が新ユーゴに対する制裁を決議した。

1992年8月
イギリスのITNテレビの「強制収容所」報道事件

1993年1月
セルビア人勢力によるムスリム人女性に対する集団レイプ事件。全世界にニュースが流された。

1992年8月
ロンドンでユーゴ平和会議。合意に至らず。

1993年1月
クリントン政権:ボスニア内戦に積極的に関与。選挙公約だった。

1994年2月
サラエボのマルカル青空市場に迫撃砲。68人死亡。
攻撃したのはセルビア人だということで、セルビア悪玉論が再び噴出した。しかし、この事件もまた、本当に撃ったのはセルビア人勢力なのか、ムスリム人勢力なのか証拠はなく、真偽不明のままだそうです。

1994年3月
クリントン大統領:ムスリム人・クロアチア人の「ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦」憲法案の調印。

1994年11月
NATOによるにセルビア人勢力への限定的空爆。

こうして外観すると、ジム・ハーフのPRとアメリカの関与が大きく影響していることが分かります。

参考:プーチン大統領のインタビューにて

プロパガンダ戦争

昨年、アメリカのジャーナリスト「タッカー・カールソン」がプーチン大統領に単独インタビューをして話題になりました。そのインタビューの英語版がYouTubeで誰でも見られるようになっています。

インタビューの終わりのほうで、ノルド・ストリームを爆破したのは誰かという問いがありました。プーチン大統領は「CIA」と暗に答えました。
それに対してカールソンは「NATO、CIA、西側諸国がやったという証拠があるのなら、それを提示してプロパガンダに勝利しないのか?」と質問します。

プーチン大統領の答え:
「プロパガンダ戦争において、アメリカに勝つことは非情に難しい。アメリカは世界中のメディアとヨーロッパの多くのメディアを支配しているからです。ヨーロッパ最大のメディアの最終的な受益者はアメリカの金融機関です。それを知らないのですか?その仕事に関与することは可能でも、法外な費用がかかります。情報源にスポットライトを当てるだけで、成果を得ることはできないのです。何が起こったのかは全世界に明らかであり、アメリカのアナリストでさえ直接的に語っています。事実です。」

プーチン大統領の発言をそのまま鵜呑みにはできませんが、やっぱりアメリカのメディアの力は絶大なのです。日本のメディアが日本独自のまっとうな報道をするのは難しいのでしょうね。