見出し画像

知覧特攻平和会館


10年ほど前のことですが夫と二人で九州旅行をしてきました。
その時知覧特攻平和会館に行きました。

知覧特攻平和会館へ行く途中の道には石灯籠がずら~っと並んでいます。

そういうものがあるのを知らなかった私はちょっとびっくりしましたが、たぶん特攻隊員たちの慰霊のためにあるんだろうなって思いました。

会館の敷地は非常に広く、そこにも石灯籠がいくつもありまして、よく見ると、ひとつひとつに特攻隊員が彫られていました。

当初この石灯籠は当初全国から寄せられた浄財で沖縄特攻で散華された知覧基地を中心とする主に陸軍の特攻隊員の方々の御霊の数1036本建立する予定だったようですが、今ではその数以上に建立されているそうです。


建物内には、昭和20年5月鹿児島県甑島の手打港の沖約500メートル、水深約35メートルのところに海没していたものを知覧町(当時)が昭和55年6月に引き揚げた海軍零式艦上戦闘機なども展示しています。

とにかくここにある膨大な数の遺品、なかでも遺書に胸を打たれます。

母親に感謝の言葉を述べている遺書が多いんですよね。

私が小学生の頃、江田島でこういう兵士の遺書をみたことがあるのだけど、その時は、「へ~、そういうものなのかな」ってぐらいにしか感じなかったのだけど、年を取るともう少し深く感じることが出来るような気がします。

自己犠牲と言うか、自分が死ぬことで戦争に勝利し、ひいては家族を救うんだという精神とかそういうのも確かにあるのでしょうが、ちょっとだけ思ったんですけどね、それを心から信じていた兵士もいれば、自分が死んだところで戦争に勝つわけがないって気が付いていた兵士もいたと思うんです。

ただ・・・遺書に戦争に負けるなんて書けないのです。

本心を隠して書く遺書。

何だか辛いですね。

今まで戦争に関する記念館的なものを、広島、長崎、沖縄などで見てきましたが、それらは主として兵士ではなくて一般市民たちへの慰霊でしたが、今回の知覧は特攻兵士たちへの慰霊です。

母親目線から考えると、自分の息子が死ぬのはもちろん嫌だけど、自分の息子が戦争とはいえ人を殺そうとするのも嫌だって思うのです。

こういう感覚は男性には理解出来ない方もいらっしゃるかもしれません。

戦争だから勝つためには敵国兵士を殺すのは当然だって思う方々もいらっしゃると思います。

でもね、母親ってそういうものだと思うのです。

だからこそ、兵士たちは遺書に「お母さん、お母さん、お母さん」・・・って書くのだと思うのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?