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『ペテン師』 /かぐや姫(昭和歌謡曲)

私は母の影響で、物心つく前から昭和歌謡曲を聴いていた。

今回の曲は『ペテン師』かぐや姫の曲のひとつである。この歌と私の思い出話をひとつ書いてみようと思う。

私は自分の母という人がとても苦手で、言わんとすることを理解はできるが、あーなりたくはないと思って生きている。彼女は誰の悪口も言うが、父の悪口などとりわけ多かった。

♪ そうさぁ~ 男は 自由をぉ~ 手離しぃ~ちまったぁ~♬

自由を手放して恋人を持つが、内情は愛ではない。自分に嘘をつき、恋人にも嘘をつき、欺く「男」の像。愛している、という「嘘」をつく=『ペテン師』

『神田川』の作詞をした喜多条忠が書いたものである。

「ねぇ、この歌聴いてみて」と、母から歌詞カードを見せられた。私が小学校低学年の頃である。

♪ そうさぁ~ 男はっ 人生のぉ ペテン師~だからぁ~♬

母は父を指し、「あの男みたい!」「あんな男、いつも嘘ばっかり!」と金切り声で言い始める。さらに続けて

♪ その男はぁ~ 女房を~ もらったぁ~ 人様も~うらやむ~ほ~どの~ すばらしく きれいな女をね~♬

「この歌詞!ママのことよ!」

私の母は、自分の容姿は美しい!と相当な自信を持っていた。

女性を見れば「あんなの、ブスじゃないのよ!」と誰のことも言う。結論として、母以外の女は全てブスらしい。

「あの男は、私のことを見せびらかしたくて、みんな羨ましがる奥さんをもらったって自慢で仕方が無かったんだから!でも嘘つきで!」

大人になり、父の人物像に対し、母の言いたいことも分かる。私にも父の思い込みからくる嘘、さらに話を膨らませて嘘を大きくしてしまうところがあるのは理解できる。

♪ その時 男はぁ~心の~どこ~かでぇ~ 赤い舌をぉ~出して笑ったぁ~♬

父ならやりかねない。しかし、母よりは父に共感する。

私の目から見て、父は頭の回転がとても速く口八丁な人間だけれども、とても繊細で傷つきやすい。四男だが柔軟で(シャレ)、面白い視点と発想と知恵で、新しいことを生み出すことができる。しかし信頼に欠けるところがあり、人がついてこない。

娘の私は「父の教え」を受け止めても、「父の話」は聞き流すように努めている。ひと月後にはどうせ主張が変わってしまうのだから、聴いたところで意味がない。ただ、私の父は人から理解されないが、とても優しいと思う。

この神経質で繊細な父を理解し、上手に支えていれば、母は母の望む華美な生活を続けられたし、父が責任を放棄するようなことにはならなかっただろう。

♪ けれども男はぁ~ 心のぉ~どこ~かで~ 寒い風が~吹くのを知ぃったぁぁ~♬

日本の男性の、何人くらいが同じ気持ちなのだろう。

妻子を養うために我慢して我慢して、働いて、「ありふれた想い出にすりかえる」ため「たいくつな毎日」を延々と繰り返す。

自由、ひとりぼっちの幸せ。私の父が得たもの。

私の兄は父を責め「子ども(兄)を犠牲にした」と言う。けれど、娘である私は父を責める気にはならない。

父を嫌いだった時期は確実にあるけれど、25歳を過ぎて父との交流が再開し、私の自由を認めて庇ってくれた父を恨むことなどない。

この歌を聴くと、父と母の両方を思い出す。

世の男を『ペテン師』に変えてしまうのは、私の母のような女性たちなのではないか。歌を聴き、あのような解釈をする母を理解することはできない。

『ペテン師』とは、人に嘘もつくが、己にも嘘をつく寂しい生き方であり、日本の男性の多くがこの歌に共感するのではないかと思う。

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