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真の被害者は一体誰なのか?

鼻マスクで試験除外

1月16、17日に行われた大学入学共通テストで、マスクを正しく装着せずに鼻を露出したまま試験に臨んだ受験生に対して、試験監督が再三注意したにもかかわらず指示に従わなかったため、受験生が失格になったというニュースが大きく報じられていました。

この対応について「試験監督の対応が杓子定規的だった」という批判があり、そして「その受験番号を控えて後に事情を聞くなどの対応をとるべき」という意見がありました。果たしてそうすべきだったのでしょうか?

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真の被害者は誰?

この問題は被害者の設定によって大きく判断が異なると思います。対象となるのは以下の三つの視点が考えられます。
・試験監督
・失格した受験生
・それ以外の受験生

①試験監督の視点
まず、面倒くさい事案に巻き込まれたことに関しては同情を禁じ得ません。
マスクを装着することについてなんらかの問題がある場合、事前に申請すれば措置を検討する旨の説明があったそうです。
それを踏まえれば、失格した受験生の問題であるわけです。自分勝手に振る舞った結果マスクを正しく装着せず、失格を命じられた。シンプルに考えればそれだけです。
これはマスクに限定したから問題が厄介になっていると感じます。例えばこれが「自分はBGMが流れてないと心が落ち着かずに受験できない」という主張が通るのか?という話です。こんなことすれば恐らく講義中だったとしても退出を命じられるでしょう。それこそ杓子定規的に。
そういった事がそれぞれの会場で判断されるとしたら、判断が他会場と異なることで生まれる利益・不利益に関しては誰が責任を負うのでしょうか?
上記から試験監督の判断が杓子定規的でも仕方がないのではないかと思います。
そして、仮に杓子定規的な判断を許可する状況を考えた場合、その権限や判断基準が十分ではない(つまりそんな事はしなくていい)と考えています。

②失格した受験生
異議を唱える余地はあったのですから、事前に鼻を露出した状態のマスク着用について説明をする必要があると思います。
正しいマスクの装着ということが事前に示されていなかった。という可能性はありますが、試験直前には説明がなされている様です。
だとすれば、その時にアピールするかその説明が不十分であったかの主張があればまた見方も異なると思います。
しかし、少なくともその場ではその様なこともなく、また同様の不備があったとする失格者もいない様です。

③それ以外の受験生
私が一番気にしているのはこの様な騒ぎに巻き込まれた他の受験生です。
そうでなくとも試験会場には違反にならないまでも、試験に集中を妨げる可能性がある要素が沢山あります。
聴覚的、視覚的、嗅覚的なもの、そして椅子の座り心地や机の高さといった外部環境によるものなどです。
通常状態でも様々な心を乱すような障害があるのにもかかわらず、このコロナ禍の中で自分は多少の息苦しさを我慢しながらマスクを正しく装着しているのに、ある受験生はそれを無視する。そして試験監督に注意されて騒ぎを起こしている。

「マスクを正しく装着しないで試験に臨んでいる受験生がいる。」
「彼がもし感染者だったら?飛沫感染の恐れはないのか?」
その上で、試験監督による警告に関連するやりとり…直接関係しない受験生にとってはとてもいい迷惑だったと思います。

「…で、オマエ(私)はどう考えたの?どの立場を気にしたの?」
私は、まずこの巻き込まれた他の受験生が被った損失を懸念しました。
そして試験監督の対応と失格した受験生に焦点を当てるような報じ方に少なからず疑問を感じました。

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杓子定規を批判したい気持ち理解できなくはないのだが…

まず…
上記から、最終的に判断を下すであろう試験監督の立場に立ち戻ります。

まず、私はマスクが対策として必ずしも効果的ではあると決して思っていません。
どちらかというと「他人の目を気にしてしているから」という理由が占める割合の方が大きいです。
そもそも、今の様な状況になる以前はマスクについて「咳エチケット」アイテムとして示されていたものと記憶しています。

つまり、以前から「自らの予防」というよりも「他人に対しての予防」という側面の方が強かったと私は考えています。
実際に数年前のインフルエンザ対策などの話題で「マスクでは入ってくるウイルスに対して防ぐことはできない」といった旨の主張をする専門家の方がおられました。
したがって、全く意味がないとは思いませんが「万能ではなく、どの程度の効果があるかハッキリしない」と私は捉えています。

逆に「マスクしなくてもいいんじゃないか?」とも言いにくい状況ではあると言えます。少なくとも咳エチケット…要は自らが放出してしまう飛沫を防ぐという意味では少なからず効果はあると思います。

その上で、巷で報じているマスクの種類によって飛沫の吐き出す・吸い込む量についてのシミュレーションデータについて改めて見返すと、正しく装着しなかった場合のリスク…つまり鼻を露出した様な状態で呼吸もしくは咳やくしゃみをした時に吐き出される飛沫の量に関して数値的なものが明確に示されていないような気がします。具体的には正しいサイズ、正しい装着状態である時のとの差ですね。様々なケースが存在し、シミュレーションデータをどう作っていくかは難しいところですが、最近は「鼻を露出することはリスクがあるようだ」という語られ方をされるケースが増えてきていますが、定量的なデータは見かけない印象です。

杓子定規は、個人の判断に委ねるだけの情報がないことと、判断の質に差を生じさせないための仕組みでありツール。

この様な正解が分からない状況で、それぞれの立場をCOVID-19感染リスク観点で考えます。

マスクを指定通りに装着しせずに試験に臨んだ受験生が試験会場で感染した場合ですが、試験会場で示された感染対策のガイドラインから逸脱していたため、感染リスクを受容したものと考え、感染したとしてもしかたないと言えます。
それでは、逆にこの受験生が無症状の感染者だった場合を考えた場合はどうでしょう?この場合は感染リスクを恐れて指示に従った他の受験生に対して感染させてしまう可能性があるわけです。

鼻を露出したことによる飛沫の放出量の変動は分かりません。そして、それがどの程度のリスクがとなるのかもよく分かりません。ただ、感染させた場合、前述した事実が存在していたことだけは確かだったと言えるわけです。そしてそれを「ガイドラインに示させたにもかかわらず放置した」ということになってしまうわけです。
上記を避けるために全ての受験生にマスクを正しく装着することを求め、試験監督は厳守するよう監督することを求めている訳です。重ねて言いますが、効果があるのかは不明です。ただし考えられる範囲内での常識的な対策として実施している訳です。
つまり、感染対策として示されたガイドラインから逸脱した状況が存在した状況下で受験生が感染し、後日実施される二次試験に影響が出た場合に対する原因や責任の所在の究明、その他の対応が必要であると考えると、かなり問題があると私は考えます。

ゆえに今回の一件に関して、私は試験監督の対応を支持します。
私も杓子定規的な判断を安易に下すことは好きではありません。しかし、これは判断に足る状況ではないと考えています。
何しろその場にいた他の受験生に対して、未知のものに対する不安感を煽る行為を行った上に、試験監督からの再三にわたる会場内での警告のやりとりといった騒動を起こすなど全国共通試験という状況からしてもこれはアンフェアだったと言えます。
問題を起こした受験生だけの問題であれば、事後判断もありうると思います。しかし本件に関しては他の受験生に対して精神的な不安を煽る可能性があり、つまりは妨害行為の側面も含んでいると思います。
ですから、その場での失格・退出は致し方ない判断と考えます。

私の意見が正しいとは思っていませんが、私なりに考えた結論は以上です。

満点の回答なんてない

色々考えてみたのですが、人には色々な見方があって、色々な意見があり、色々な判断ができると思います。
だからこそ、判断に質に差が生じてしまう。それが自分だけの問題であれば間違ったとしても大きな問題にならないと思うのですが、他の人を巻き込むような判断の場合、影響範囲が見積もれない場合が存在します。
杓子定規はその様な場合に安全を担保できる範囲を明らかにする仕組みであり、ツールです。例えばこれが自動車や電車や飛行機などといった人命に関わる部品の品質に関わるものであれば、誰も「杓子定規だ」とは言わないわけです。

って言ったら考えすぎなのでしょうか?考えが足りないのでしょうか?
この件に関してはかなりモヤモヤした気がします…。

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