ふきげんと愛

まんまるのお月さまのように、満たされてるなあ。そう感じられるのは心地がよい。そうでないときは、なにかをうまく受け入れられていない。

それはどうやら、ふきげんの素みたいだ。

常に明るく、笑顔の絶えないひと。太陽みたいな人間。なりたかった。黒いものがあるのを無視して。痛くもなんともないやい、へっちゃらだい。さみしいなんてうそだい。なにを言われても、されても、平気なふりをした。負けたみたいでいやだった。

でもそんなのは、ほんとうに危ない。大事な感情をまもるために、怒りたいときにまで笑っていられる術を、一体どこで身につけたんだろう。本当は気にしいで、気弱で、臆病で、繊細なのに耐えられないとき、緊急停止ボタンで、よく止まる。もっとやさしくしてほしい、わたしよ。もう攻撃しなくてもいいんだよ。世界に対して、もっとやさしくしてほしい。

甘え方が、いまだ全然わからない。人に甘えるって、なに。砂糖みたいにあまいものかしら。意識するとできなくなる。甘えたいときに咄嗟に出るのは、距離のある態度と憎まれ口だ。いやになる。かと言って、ふきげんになるのもちがう。不器用すぎて、泣けてくる。

怒ることは、よくない。嫌われたくない。なにもかも終わってしまう気がして。相手の顔色を伺うのも、ネタにされて平気なふりをするのも、生き延びるための手段だとおもっていた。気づけば、安売りバーゲンセール。少なくとも、わたしは絶対にうれしくなかったはず。

今までのたくさんの失敗や、取り返しのつかないこと。謝っても謝りきれないこと。思い出す度に胸がぎゅっとなる。後ろめたくなる。存在してはいけないんじゃないか。真面目な頭は何度もそう言う。言われてもどうしたって、在る。悲しいくらいに、息をしている。歯を食いしばって生きてる。

先日、亡くなったシチミを思い出す。
実家にいた文鳥のなまえ。

すべてゆるす手前、長年の癖はなかなかしぶとい。いじのわるいのが、いる。きたない。見たくない。くらい場所を、有るものを、無いことにした代償は多分、想像の1.5倍くらいおおきい。ツケは大分払ってきたようにおもう。ただ、もう一度、撒く前の種を、よくみると育てたくないものまで手に乗っていたりする。

ちゃぶ台返したくなっても、踏みとどまって。いつだって希望はもてる。受け取り方次第で心は変えられる。わたしなんて、と軽く扱わないでほしい。なにがあっても、大事なひとなんだから。生きてるのがこたえだ。

ずっと消えない。
かなしみは、骨の髄まで。
この壁を乗り越える。そして、次を乗り越えて、果のない川で石がまるくなって、やがて息絶えるまでに、慈悲の肥やしになったらいい。

すべての命を等しく愛でるために
なにも要らないことが
身体でわかる日が来ますように。

ゴキゲンの種を増やそう。


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