親という名の幻想

シャンプーの泡を、ていねいに立ててみる。

リハビリ後のお昼過ぎ、看護婦さんが頭を洗う時間をとってくれた。室内と言えど、夏場はさすがに汗ばむ。手術後すぐは入浴禁止であるだけに、”洗う”と言う単語だけでもう心が躍ってしまうのは阿呆なるところか。お湯のでるシャワーはあたたかく、清潔なタオル、こころ遣いに、くううといちいち感動してしまう。さっぱりするのはいつだって気持ちがよくて、しあわせだ!

楽しくて頭をわしゃわしゃ泡だらけにしていたら、いつかの記憶の引き出しがひらく音。父がつくる泡の角を、やれソフトクリームだ、バイキンマンだのと姉妹でやいのやいの騒いだあの光景。きらきらを思い出しては頬が緩んで、ふふふと声が漏れる。わたしはまともに髪も洗えなかったのだなあ。そうだよな、はなからできたら怖いよなあと泡を流しながら、微笑ましい気持ちになる。人間は記憶をすべて持っているらしいけれど、取り出すにはやはりなにかしらのきっかけがいるようだ。

父はいつの間にか山梨の富士吉田に転勤していた。入院したのを報告をしたところ、”今度きたら吉田うどん食べに連れて行ってあげるよ(笑)”だそうだ。相変わらず、元気そうでなにより。私が言うのもなんだが、ずいぶん丸くなったものだ。酒が入らずとも年々、陽気に話すようになる父をみると嬉しい。磨かれた証であるとおもうから。仕事のない日はひとりでキャンプなり、洗車なりできっと気ままに過ごしているのではないだろうか。( 様子をみに来るかも、は流しておいた。)

母は主婦の鏡のようひとで、まじめだから冗談はあまり通じない。毎日朝は納豆ご飯とみそ汁、夜は22時にご就寝。完璧なるルーティン。なんだかんだ、父のよりどころであり、姉妹の世話と家事を休みなく続ける姿には、本当に頭が下がります。千葉の実家に連絡すると、”遠いから行けなくてごめんね” だそう。それよりも、家の文鳥の羽根が生え変わったよと、楽しそうに話すのが母らしくて可笑しかった。

はじめてこの世に出たときのこと、たしかにさっぱり覚えていない。だから、思い出せることと言えば、母が言葉を覚えて間もないわたしにきいたこと。


”お腹の中はどんな感じだったの?”

”ふわふわしてたよ。”


地味に衝撃的だったのを覚えている。母は羊水に浮いていたからだと言うがどうだろう。宇宙にでもいたのかも、知れないよ。

親というのは呪いにも似た概念だなとおもう。理想の旗を振りかざしふたりを縛っていたのは紛れもなくなんと、わたしであったのだ。ごめんね。いつかの防衛本能が、まだ機能していたのか。でも、もう期待することはない。血脈をわけてくれた彼らは近しい他人、わたしではない。幻にいつまでも縋るわけにはいかないよ。そのふたつのレンズも。

生まれたときから愛はそこにあるのだから。

わたしのいのちはたくさんのいのちでできている。積み重なるいのちのてっぺん。大事なものを見落とし続けるならば、もう痛みで気づくしかないのだな。そこはみな、共通しているみたい。生かされているかぎり、わたしからは逃げも隠れも、離れることもできなくて。ともに生きるしか道はなかった。ひび割れた骨のすきまから、せせら笑いとささやき声。もう、観念なさいよ。

生きたいと願ってしまったからには。顔を上げて、もう一度。姿勢を正せば、歩いて躓くことはない。四季はめぐるたびにあたらしくなる。次に必要なのは、はっきりとした行き先を決めること。伸びた背筋で深くいきをする。辿り着かないかもしれないが、迷っても消して投げ出すことのないよう。自由を獲るために、わたしはわたしを縛るのだ。それも今この瞬間、しゅんかんに、できるだろうか。



死ぬまで

きらきらを、捉える眼で

ありたいと

つよくつよく想う



窓枠の外は日々色づいて

丸い秋の足音に、心ときめく。

きらり、

今日もありがとう。



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