畏れを抱く。人間の分際なのだから~日本講演新聞

トキメキ学びを世界中に~ニュースを載せない日本講演新聞がお届けします。

 新しい考え方が制度化されても、それが世に根付くまで随分な時間を要するものだ。場合によっては世代を越えることもある。

 昨今、「女の分際(ぶんざい)で…」という言葉を吐く男はすっかりいなくなった。

 この言葉は「誰のおかげでメシが食えていると思っているんだ」という意識とセットになっていた。昔ながらの男尊女卑の風習と、稼いでいる人間が偉いという価値観が相まって、経済的に自立していない女性に向けられていた。

 今では映画やドラマの中でしか聞けない言葉かもしれない。今こんな言葉を使おうものなら世間の反発を買うどころか、その意味さえ理解されないだろう。

 少し前に参加したビジネス系のセミナーでは、男性の講師が「男の分際で…」という話を始めたので驚いた。

 「男性の中にはごく稀に男の分際で女性に手を上げる奴がいる」と言うのだ。

 「どんなに偉いか知らないが、女性の胎から生まれたくせして、しかも人間として自立していない頃には、その乳を飲み、おしめを替えてもらい、その腕(かいな)に抱かれて過ごした日々があって『今』があるはず。そんな男の分際で女性を大事にせぬとはとんでもない」と。

 「分際」とは「身のほど」という意味である。そこにはあからさまに「軽蔑」の気持ちがある。しかし、男性が自分たちを戒める意味で「男の分際」と言うと、何となく共感できる人も多いのではないだろうか。

 そんな話を聞いたばかりだったので、書店に並んでいた『人間の分際』(幻冬舎新書)という背表紙に目が留まった。

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