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『重力と恩寵』シモーヌ・ヴェイユ -障碍、品位、堕落- 読書感想③



9 頭痛。そんなとき頭痛を宇宙に投げこめば痛みはやわらぐ。だが宇宙に疵がつく。
頭痛をもとの場所にもどすと痛みは烈しくなる。だが、なにかは苦しむことなく無疵の宇宙と接触をつづける。もろもろの情念にも同様に対処すべきか。それらを引きおろし、ある一点へと集め、その後は関心をよせない。なかんずく苦痛は例外なくかく扱うべし。それらが事物につきまとい、事物に疵をつけるのを防ぐために。
歓びは、むしろ逆か。

P21

12 不幸は品性を高めない。
犯罪者と娼婦にみられる時間の細分化。奴隷にとってもまた然り。
奴隷たちがさらされていた刑罰は魂を浄めることのない厄災であった。
 あるいは、思考の中で真空に堪えつづける気概がなければなるまい

あらたな力を生みだす努力の源泉はどこにあるのか。
 あまりに過酷な状況は品位を貶める。

P22、P23

15 路上の岩。その岩にわが身をぶつける。
 限定された事物としての岩、限定された存在としての自己、両者の関係、これらを同時に思考する。梃子。たんに梃子に力を加えてすむなら、努力にはなんの意味もなくなる。

転移することで降下と上昇とのあいだに等価性を認めるには、自身の願望への執着を断たねばならない。

 願望にはある種の絶対性が含まれている。ゆえに(ひとたびエネルギーが尽きて)願望を断念せざるをえなくなるとき、絶対性は断念をまねいた*障碍に乗りうつる。敗者や抑圧された人びとの魂の状態。

P24


*「障碍」しょうげ
物事の発生や持続を妨げることを意味する仏教用語。また、悪魔や怨霊などが邪魔をすることでより悪い意味もある。

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 「奴隷仲間」「刑罰」「過酷な状況」などの言葉から、どんな場面のどんな境遇かは想像がつく。

本文にあるように、「そこ」が不幸だと、外見はそう見えるだろう。中に居る者達は、一時一時の苦痛を癒すために、その都度藁に縋るだけで不幸と思う暇はないのかもしれない。

「思考の中で真空に堪えつづける気概がなければなるまい。」と書かれていた。

堪え続けるか、想像力で苦痛を払拭するか、魂の浄化はないと考えるか、魂の深い内省部分を咎めることを浄化とするか、である。

人間の思考は絶対的であり、
幸福や不幸という状況はない。

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907字

天空の裏側

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