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シャーマンとは




シャーマン的占いも理には叶っている。

「その人」の潜在意識をシャーマンが媒介して降ろし、潜在意識の意を汲み、その人のもつ過去世からの因果や性格、気質などがわかるからだ。

自分が自身の潜在と繋がる方法の一つだと思う。

シャーマンは、そういったパフォーマンスにより、人々に畏敬と畏怖の念を抱かせ、自らも大いなるものの内側で生きて生活している。

他人のものや、自身の潜在的な形而上のものを、自身の身体を使って自動書記などが出来る人のことをシャーマンや巫女等というが、現在はそれらのエセも多く、スピ界に対して、私は閉口する。

当然だが、勉強してなれるものではなく、占いにありがちな統計学でもなく、修行によりなれる場合もあるが、これは本来性が強いものである。

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私がまだ自分の中の神(悪魔)に出会う半年前のこと、2020年、名古屋での某日、とある二人のシャーマン的な方の講座に出向いた。

お二人はシャーマンを名乗ってはおらず、今思えばシャーマン気質があったと私が思うだけのことで、ご自身の身体に降りる神のようなものに、導かれて、歴史的真実を含め、神道、宇宙的なもの、それらの真相を知るために活動されていた。

一人の方に私は半年間付いて、師として学ばせてもらっていた。
名古屋での講演は同じような活動をされているもう一人の方との合同の講座だった。

私の師も形而上を自身に降ろすことが出来る面白い方で、宇宙哲学と称してアダムスキーの研究と、神社や磐座に自らの足で登りながら赴き、神を独自の方法で研究・発言し、活動されている方だった。

名古屋での、もう一人の方は、その日に初めてお会いしたが、本を既に何冊も出版されていて、私の師と同じく、自らの足で真相を追求されていた。
その当時は、なけなしのお金を叩いて300万円の費用をかけ、京都近郊のとある山に「ある」と、お告げが来たようで、不比等の墓を掘っているとのことだった。

その前も、その方はアークを探していて、剣山ではなく、京都を中心とした各地を探索し自らの足で歩いていた。私の師と同じく、当時はとても面白いと感じた。

偶然か、この方をnoteで見つけ、まだ未熟だった自分や、師を取り巻く人達を思い出し、あの頃を懐かしんでいる。

今思えば、このお二方は、自身の中の潜在的なもの、或いは自身が引き寄せる外的な形而上のものに取り憑かれている。

その存在を大いなるものとして、畏敬の念を抱き、存在を超えられないでいるのだ。

シャーマンというものは、自身の降ろす「存在」は、歴史的事実を知っているわけではないということを示唆していないでいるような気がする。

大いなるものと勘違いし、神のようなものの手の内の中で、言いなりになって動いているだけなのだ。

と、今、感覚した所存です。

私にも入って来たり、上がってくるものはあるが、そういった類のものは、昨日書いたように内外から常にある。
然し、それらを鵜呑みにせず、まず、理論があり、真理でもある、哲学や神学、仏教学を軸にしてから、読み解いて行くべきだと思う。

しかし、彼らの言う、それらはまるっきりの虚構ではなく8割くらいは事実ではないかと思う。嘘の2割から論理立てしたら終わるけど…。

私も、「神武=イエス」だと感覚するが、此処へのこじつけ論理立てが出来ずにいる。創ってしまうのもアリだが、それは私自身が許さないし、創作という概念が私にはないのです。

イエス→神武だと思っているが、この流れをずばっと言い当てる文献はないものかと、探すことはせずに想っているだけなのです。





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