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懐かしい昔話



 認知障害が入った老人が昔を懐かしむように、私も同じ心境になった。

懐かしい。

 何故あれほどまで、治療家にこだわってそれを目指していたのだろう。そして自分の能力がわかったとき、それまでかかったお金と時間と労力の全てを捨ててしまった。

いや、今も一応治療家ではある。

持っているのが嫌だった。
何も要らないと思った。

今思えばそれも性(サガ)なのだろう。


 内海聡先生は筑波大出身のドクターだが、私の徒手療法の恩師は自身の能力を活かした治療家で、二人の間には何らかのコネクションがあった。

私の恩師の方に、内海先生の元で習っていた人が多く流れて来ていた。まぁ、皆、一般人のそれではなかった。

難病を抱えた会社社長が何人かいた。柔道整復師、鍼灸師、理学療法士、親が難病を持つ高校生、東大出身の内海先生のファン、難病を抱えた主婦など、皆さん個性豊かで面白かった。個性がないのは私だけだったかもしれない。

その場にいれば自然に内海先生の情報は入ってきた。師匠を通して内海先生を知ったのは私だけで、皆は内海先生から師匠を紹介された人ばかりだった。

私が持った対消滅の能力だが、それを習っていたときの別の恩師も、その師匠のもとへ入門するくらい、その師匠の手技は素晴らしいものだった。

(全て捨てたと言っても、その二つの能力だけは私は持っている)

 対消滅の能力の開花と同時に私は精神界に引き摺り込まれていったのだが、今回は前者の徒手療法の恩師であり師匠の方の話し。

 私はその師匠に一年間ついていた。
他の手技も多数習っていたのでメインの師匠と言うべきか。15分の整体で3万円。45分で7万円。という破格のレベルなのだが、目の前で見ているので、それは真実だった。

治療内容によって時間は多少前後していたが、徒手で内蔵を治療できる、およそあり得ないカラダの使い方で、人間技ではなく、私などでは15分もその身体になっていられないため、3分くらいで刻んで施術をしている。

3分刻みでも、その能力を持ったという実感はある。筋硬結が取れて、薬を飲んでも治らなかった頭痛持ちの方が、薬を飲まなくなった。腕が上がらない酷い肩こりの方も然り。

しかし、内蔵の治療までは出来なかった。師匠のように内蔵治療が可能な身体になるためには、忍者の修行のような鍛錬が必要だとその当時は本気で思った。

一年間ついていたが、今思えば、師匠は私には不可能な神通を持っているのだと思うし、そうとしか思えないのです。

今の私なら内蔵は対消滅で治すことができる。
し、本物の治療は、ヒポクラテスの言うように、病気を患っている本人が一番の治療家なのだ。

本人自身が気づかなければ本質的に治ることはない。

 故に内海先生は患者にも治療家にも厳しかった。
真に病気のメカニズムを知っている方だ。内海先生は自身では徒手療法はしないため、こちらの恩師に流れて来ていたのだと思う。

徒手療法を行っている暇はドクターにはない。
診察と投薬だけでは真に治らないと悟ったドクターが治療家仲間だったときもあった。

病院も診療所も整体も鍼灸も代替治療であり、根本に本人が気づかない限り、真に治癒することはない。

事故などでの完全なる骨折、複雑骨折などは病院に行った方が良いですが、骨折の疑いくらいだったら私は治すことが可能です。

 ところでなんの話だったのか、、

そうそう、内海先生、頑張っていますね。
地位も名誉もあれば世の中と闘うことが出来る。その特権を内海先生は持っているのだと、そう思います。

闘う気力など、生まれた瞬間からずっと今もなく、死にたくも生きたくもない、タナトスと共に生きる私は、こうして内海先生と当時の師匠を懐かしむだけでした。







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