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『重力と恩寵』シモーヌ・ヴェイユ ⑨- 脱-創造、自らの根を断つ-



 読みながらまたふと思った。
ヴェイユのこの本書は、仏教でいう「六道輪廻」の切断を行う作業でもある。

精神の考古学の中沢新一氏が若かりし頃、毎日毎日山へ出向き、六道の一つ一つを滅する修行をしていたのと同じ行いを、ヴェイユは思考によるその作業を、本書に綴っている。

勿論、「修羅・地獄・餓鬼・畜生・人間・天国」の切断は仏教の修行の内容であり、そういう括られ方はしていない。万象において受ける想いや発生する行いを身を持って理解し、想いを断つということ。

四大元素も重要だが、ここまで思考しているのであれば自然界の理も思考していると思われる。これから出てくるのだろうか。または別の書籍にあるのか。

八 自我(モウ)

8 わたしは万象である。しかるにこの〈われ〉は神だ。一介の個人にすぎぬ〈われ〉ではない。
悪は区別を持ち込み、神が万象に等しくなるのを妨げる
 わたしを〈われ〉ならしめるものは、わたしの悲惨である。ある意味で、神を〈われ〉(すなわち人格)たらしめるのは宇宙の悲惨である

P62

 これは自分でもよく思考した。私自身がリアルに気持ち悪くなる吐き気の原因は、捩れた分別心によるその欲望の意識の侵入だと最近ようやく言語化出来た。

区別すること、捩れることは悪だが、追求するとこの宇宙が出来たことも悪となってしまう。また最初に区別された存在自体(神)が悪となる。

となると悪の根源は意欲(ベクトルと性質)。

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天空の裏側

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