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精神の考古学 -第七部 ロンチェンパの遺産より-


本書は段々と難しくなって来ている。

ゾクチェンは言葉・言語もそうだが、独自の科学・哲学であり仏教でもある。そのためか、密教や西洋哲学、また、音楽等と照らし合わせた同一性を筆者は試みているが、哲学書は曖昧なため苦手な私は余計に混乱を起こし、仏教独自の言葉も然りだが、、

、、しかし、宗教、哲学、音楽、芸術、、全ての分野に於いて本質的構造は同一性があると言える。

また、言語化すると、そこに当て嵌めようとする意識と、自分の感覚との差異を見出そうとする意識の両方同時に行うため疲弊する。しかし、面白いのでメモをしながら読み進めている。

以下を抜粋しました。

「人間は鳥のように二度生まれなければならない」
鳥はまず母鳥の体から卵として生まれてくる。卵は時間をかけて温められ、しばらくするとその卵の殻を破って、雛鳥が生まれ出てくる。
 それと同じように、人間もまず母親の体から自然状態で生まれてくる。そこで子供は無自覚なまま成長を開始する。親たちの教えることを学習し、社会的な言語を習得する。こうして心が発達してくるが、その心は分別によって歪められたセムにほかならず、純粋な知性作用であるセムニーは、心の内部空間にしまいこまれたままである。
 だから人間は鳥のように、もう一度生まれてくる必要があるのだ。

「精神の考古学」 P252

以前よりずっと思っていたことが書かれていた。
人間は産まれた瞬間から社会環境に適合するために、主に母親、家族、交友関係、学校などの社会に属しながら毒されていく。

ゾクチェンの教えでは、なにも拒否せずなにも受け入れず、まわりに出現するもののすべてをありのままに楽しんで生きることの重要さが説かれているが、日常の暮らしに重荷をつくってしまう煩悩を、このンガッパたちはどう処理しながら生きているのだろうか。

P261

ゾクチェンの「教え」と並行しながら「煩悩」に侵されている現実。その矛盾を抱えて生活している様子が書かれていた。

「そう」だと思っていた。

煩悩を捨てられないから吐き気がしないのだと勝手な憶測をしている。性質も勿論あると思うが、教えている宣教師さえも煩悩と感情がある。
やはり、理解や途中までの段階が限度で、この境地はリアルに到達するのは、そーとー厳しく難しいのだと思う。


「沈黙と音」武満徹
 音楽は、音か沈黙か、そのどちらかである。
私は生きるかぎりにおいて、沈黙に抗議するものとしての(音)を択ぶだろう。
 それは強い一つの音でなければならない。
 私は、音楽のみがかれない原型を提出することが作曲家の仕事ではないかと考えている。
 私は余分の音を削りとって、確かな一つの音を手にしたい。

P256

沈黙している空の内部には形態情報と原初的知性がみなぎりたえまなく自身の力を放出している、というゾクチェンの思想と合致している。

放出された力はリクパとして現象化に向かっていくが、その途中で拡大し離れていく力を「対象」として認識する分別思考が一瞬なりとも働くと、そのとたんにリクパ(明)はマリクパ(無明)に頽落してしまう。

ゾクチェンパの取り組もうとするのは、空の沈黙から放出された力をいちども分別的な認識に触れさせないまま、いわば知性の「みがかれない原型」である原初的知性のままに取り出して、その裸の姿を見届けるという作業である。

P257

音楽だけでなく、書道や絵画、写真なども同様だと感じる。書道をしていた私は、余白の美しさは字自体とのバランスで、白い半紙のままの部分の原初性を字で穢してはならないと感じていた。字によって原初が活きていくし、逆も然りですが、(まぁ、余白を活かす芸術性、技術はありませんでした)

「沈黙と音」「余白と字」「情報と知性」を分別しては無明に頽落してしまう。
「みがかれない原型」こそ、あらゆる可能性、エネルギーを秘めているのだろう。
辿々しさ、つたなさ、磨かれていない原石と言いますか、私もそこにエネルギーと美しさを感じます。

ーー

どこかに、自分の追求には終わりがないと書かれていたが、底なしのコップの底を求めている自分もいるし、コップから脱出したい自分もいる。

いつものことだが、言っている内容が一週間、一ヶ月、数ヶ月もすると、違うことを話している場合があるかもしれない。

3月の記事を振り返ると臆病な自分がいた。
今は、「わかる」ことで、更にわからなくなってしまった自分がいる。

まだまだ続きますが、
今回はここで分割します。

次回は「鏡性(対称性)」が出てくるが、自分自身があまり感覚しないというか、対称性の何かに引っ掛かりがあるためなのか、自分の認識と感覚とは異なると感じる。自己投影は以前はあったが今は殆どない(自分の中で一体一如が進んでいるのか?、、)



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