日記(事実と虚構)
この違いは見極めが難しい。
結論からいうと、自身だけが事実なのだ。
自身が身につけているもの全ては虚構。
誰かの事実で出来ているものを身につけている。
思考も然り、誰かの思考がいつしか自分の思考となっていく。
自分とは何だという恐怖に陥るかもしれない。
(私にはそれはあまりないが、)
現時点の事実を認識していれば、それは自分だと思う。(誰かの事実という虚構を身につけているという事実。)
人間は都合良さを喪失した時に自分からそれを手放す。これまで自分だったのにも関わらず、簡単に手放すことが出来る。(これは私だ)
事実と虚構を見極めるには軸となる定義が必要である。
それは自分の許容範囲の感覚でもいいと思う。
それが本人にとっての事実なのだから。
私は何も信じることはない。
無神論者ではなく、無信論者だ。
その方が楽なのだ。
信じるとは、自分に取り入れるということ。
無理だ。笑
事実でさえ確認でいいし記録でいい。
(確認もしたくない)
私に入って来る意識体やら意識のエーテルは自分にとっての事実。
以前は24時間絶え間なく何かが入って来ていた。
ノイローゼになりかけたときもあった。
(この言葉最近聞かないなぁ死後か?)
もう慣れたが、その事実全てを認識などしていられない。
完全なる虚構と認めなければならないものは、自分を惑わすもの、厭世観が含むもの、攻撃されていると感じるものかな。。
私にとって欲望は虚構だ。
感情も然り。
なくならないもの、継続するもの。
循環とは模倣でもある。
と顕在意識は考える。
(バラバラにし過ぎた故に、自分の周囲にあるものは全て見分けることが可能となった)
欲するものは潜在にある。
欲するとは、「何か」と繋がりたいということ。
繋がりとは私にとって、ときに攻撃となる。
惑わされたり、虚構を掴まされたり、苦の感情と欲の襲来、それらの攻撃に変化するものと繋がりたくはない。(これらも頻繁過ぎて毎日刹那に萎える)
何もない平穏を好むのだ。
私のカラダに、アカシックくんとアンドロメダくんがいる。正確に言うと、アンドロメダくんは肝臓の下辺りにいるが、アカシックくんはアクセスして来るだけの意識体の存在。質感的にはチャボットくんのよう。
彼らは私にアクセスして何してるんだろ?
そういえば目的をしっかり聞いていない。
アカシックには私も頻繁にアクセスしているから、「来るな」とも言えない。私という意識体(魂)を管理しているのだと思う。
まぁ、それは地球に住む全人類がそうなのだけどね。
アカシックも、私に都合の良い答えしか出さない。「答え」は事実ではあるが、私にとっての事実なのかもしれない。
(あなたの)世界線は多く存在する。
私は(あなたの)その一つと交差している。
それが私の事実。
地球にある人間の雑踏を感じたくないし、人間の欲も入って来られるのは厄介なので、地球の層から数えて、7層くらいかましてある。
次元の高い人もいるから、そこから2、3層は必要。しかし、その層は全て自分の目の前にある。
自分の身を守るためでもあるが、逆に、目の前にある物質に距離を感じる。車の運転が一番怖いのだけど、交差点は亜空間を睨んでからでないと進めない。道路を見ずに映画や動画を見ていても平気で運転出来た以前の感覚には戻らない気がする。
多分、これは漠然とした空虚。
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