『重力と恩寵』シモーヌ・ヴェイユ ⑧ -真空を求めても避けてもいけない-
サルトルも「極限の思考」だが、本書『重力と恩寵』も極限の思考を具体化したものだ。
この極限の思考を「理解」できる者は少なからずとも存在はすると思う。
しかし、サラッと読んでサルトルの思想、ヴェイユの思想を暗記するように理解しても、体現している者はほぼ皆無であり、その存在は極めて稀だろう。
上手く書かれている。「自分の内奥に降りていく」「(自分の内奥の)願望や飢えを捉える」「悲哀という悪」、「死者は不在」「不在が現前する実在」その通りだ。
この妄が真空を埋める、あって欲しいと願う欲望なのだ。
真空の恩寵、神の恩寵など、そう成ってみなければそんなものはないに等しく、そうなるまでの苦を取り除く企てと試行錯誤の連続。
何も誰も助けてなどくれやしない。
誰かに助けを求められるものでもなかった。
私の真空の理解は、仏教の「空」から始まった。それも何を頼るでもない自身の思考の中でのみだった。
客観でも主観でもないもう一人の自分のような者が自身は〈真に「空」〉だと思っていた。
今までと脳内内圧の感覚や脳の感受が異なったからだ。面前するものがなければ、自分の思いなどはなく常に脳内は空っぽだ。
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