ゾクチェンの初祖、ガラップ・ドルジェの言葉
『急所を貫く三つの句』
このゾクチェンの初祖の三つの句だが、めちゃくちゃカッコいい。根底から高みまで何かを貫いている、こういった独自の言葉には輝きがある。つい、真似したくなってしまう、、が、言葉がまるきし浮かばない。
内容は少々いじらせてもらって、自分風に作り変えるのもありかな。きっとそれはパロディとなりぬる、、が、威厳なき自由を混ぜたい。
「唯一の意識に留まり続ける」ことは、自由なのか?元来の神の内側に留まるのは「苦しみと愉しみがある」という自由だ。サンサーラであれ、ニルヴァーナであれ苦しみがある。此処以外の自由はないと確実に理解するということは、不自由の理解ではないだろうか。若しくは、自由という妄想を描き続けることだ。
妄想のない世界はあるが、それを目で見て體驗したとして、だから何なのだろうか。民族の一部の部落でしかない。学者の視点からの研究内容に過ぎない。
また、教えられなければ辿り着けず、
教えられたとしても辿り着けないだろう。
この境地に至ったところで楽はない(楽は放棄しているからだが)、苦は人間として平等に舞い込む。
自分を知ることは苦しく、
知ったところでまた苦しい。
他者はそれを知らないからだ。
疎外感はあるが、ゾクチェンのいうように、元の世界、妄想の世界に戻ることはできない。故に、進んで行くしかないのだ。
此処では「法身は色も空も分離されない」と書かれているが、「色」を分離させていると私は思う。
この後の本書は、本格的なゾクチェンの正行に移っていくが、
私自身に一時的に湧き、湧いた側から勝手に消される感情や想いはなんの作用が働いているのかを知りたいため、読み進めてみようと思う。