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私の「苦手な人」について深掘りしてみた☆彡

ここ数日、お友達のきよこちゃんが、「嫌いという感情」についての考察をしていた。

私は10日の記事を読んだとき、私自身の「苦手な人」に対する気持ちを書いてみようと思った。

きよこちゃんの「嫌い」という感情の相手との関係とは違うが、ふと振り返ってみようと思ったのだ。
そのきっかけを与えてくれたきよこちゃんには感謝!

苦手な人は二人いる。

さて、私には今「苦手な人」と自分自身で自覚している人が二人いる。
正確に言うと、もっといるかもしれないけど(笑)、自覚しているリアル(ネットの世界ではなくてリアルな世界)で苦手な人が二人いるという意味。。

人はみんな違うから、どうしても合わないと思う人は誰にだって一人や二人はいるのではないだろうか。
でも、違いを受け止め合えれば、必要に応じて付き合うことも出来るし、もし、どうしても無理なら距離を置くことで、心がざわざわするのは避けることも出来る。

でも、一方的に嫌っている様な態度をされたり、合わないのなら離れていてお互いに関わらなければいいのに、相手から関わられてさらに攻撃される(と感じてしまう、も含めて)ような体験が多ければ多いほど、苦手意識が生まれ、究極には嫌いという感情になるのだと思う。

私が「苦手」な二人については、過去は嫌いだと思ったこともある(笑)
でも、今は距離を置いていて、基本関わらないので、「嫌い」という感情が薄れたような気がするし、「私の人生に影響はない」と思えるようになった。

そして、付け加えるならば、その二人の良いところもわかっている。
ただ、私との関係性において多分私の感情としては無理だ、と思ってしまうのだ。

今も感じる苦手な人、一人は元職場の上司、そしてもう一人はママ友💦💦

元職場の上司については、人間的に残念だなと思うことがあったので、ただただ距離を置くことでストレスは無くなった。またこれは私だけの感情ではなく、他の人も同じように感じる人だったので、
今日は、ママ友のAさんについて記していきたい。


ママ友のAさんの場合

ママ友のAさんとのつきあいは、子ども達の保育園時代から。。
理知的でいつも自信たっぷりに見えて、かっこいいタイプの女性だった。
子どものアレルギーが一緒だったり、色々な考え方が似ていることもあり、惹かれ合うものがあったのだと思う。
一緒にご飯を食べに行ったり、個人的なこと・私的なことも相談し合う関係になっていった。

ところが、Aさんが私に対して自分のほうが「力がある」「魅力がある」ということを示すようになり、嫌な思いを何度かするようになった。
それは、私の考え方に対して否定的な意見をしてくること、さらには他の人にそれを伝え、Aさんの思いの正しさを示そうとすること・・。

私からしたら攻撃されている様な気になる態度や言い方だった。
意見に対しては私なりに真摯に受け止めてはいたが、他の人まで巻き込むとどうしても交われないとも思った。

そのたびに距離を置き離れるのだが、また何かの関係で親しくなるきっかけが生まれて、私を持ち上げ(恵子ちゃんの考え方素敵!などと言って)また交わるようになると、また嫌な思いをするを繰り返した。

頭ではわかっている。いや、わかろうとしていた。
私のことが嫌いなのではないのだ、と・・。考え方・感じ方の問題なのだ、と・・。Aさんは、自分が優位に立ちたいのだ、と・・。

「みんな違ってみんないい」のだから、違いを認め合うようにしなければ、と自分に言い聞かせるが、でも、それは一方的に私が感じるだけではだめで、双方がそう思わなければダメなのだと思った。

そして、嫌な思いをしながら無理に付き合う必要はない、と気が付いた。

もちろん、私も大人なので(笑)、私がこのような感情でいることはAさんは知らないと思うし、私からは連絡はしないが、今でも連絡があれば、それなりに普通に明るく対応をしている(^_-)-☆

そして客観的には、Aさんの力も魅力も良いところもわかっている。
だからAさんの全てを否定もしないし、たぶん「嫌い」ではないのだ。
ただ「苦手」という言葉があてはまるのだと思う。

また、人間関係は相互の関係なので、Aさんがそのような態度になってしまう原因を私が作っていたのかもしれないとも思うようになった。
私の無意識の態度の何かで、Aさんにとって嫌な思いが生まれて攻撃したくなったのかもしれない、もしかしたら、Aさんの生い立ちや感情で何かの琴線に触れていたのかもしれない、と・・。

確かに私自身も最近でもあるコミュニティーで意見の違いがあるときに、聞いてくれる誰かにその思いをぶつけてしまうこともあった。

とすれば、私もAさんと同じなのかもしれない・・。
自分の優位さを出してしまっていたのかもしれない・・。

もしかして、私はAさんと似ているのかな・・。💦💦

「ストレングスファインダー」を学ぶことで、「人は違う」ことを学んだし、「人は違う」を理解しても、「分かり合う」難しさ、ある意味「人は違う」からこそ、全てを分かり合えなくても仕方ないことも知った。
誰とでも分かり合えるはず、理解し合えるはず、という論調には、「否!」と言える体験もできた。

ただ、「分かり合うこと」を諦める必要はない。
たとえば、真剣に語り合うだけではなく、お互いに「ストレングスファインダー」などをしてみることもお互いへの理解に繋がるかもしれない。人は違う、それを双方が思ったときに、理解し合えるのかもしれない。(意見は違うが、考えはわかる、など)

違いを感じて、嫌な思いをした時、攻撃されたと思う時には、そうなってしまう相手の持って生まれた資質や思いや相手の生い立ちや感情を考えるようにすればよいのではないだろうか。
実際には相手の全てをわからないほうが多いが、「この人もきっと色々あったに違いない」くらいの軽い気持ちでも良いかもしれない。
「振り回されないぞ」と決心しても良い。マウントをとられて傷つかなくても良いのだ。

また、もしかしたら、自分と似すぎていて、嫌な自分を見たくなくて相手を「苦手」と思うのかもしれない。

自分が似ているかもしれない、と思ったのなら反面教師として色々なことを教えてもらったと感謝すればよいのかもしれない。

そして、せめてこの体験も何か意味があるのではと感じたり考えてみると前が見えてくる。

相手も自分も責めないでフーッと深呼吸する。
それだけでも気持ちは楽になる。


この振り返りをしたことで私自身も頑なにはならずに、Aさんとの関係の「再構築」が出来ればいいなとは思い始めている。

もしかしたら、Aさんともこれからまた違った形で、お互いの生き方を認め合ったつきあい方が出来る時が来るかもしれない。

でも、願いは持ちつつ、今はこのままで良いかなと思う。
未来はわからないけど・・。

これからの私に繋がること

私は「人間関係の再構築」をするほうが双方にとって良いと思っている。
特に「家族」については、再構築が出来れば幸せだとも考えている。
これは私の考え方。。

でも「家族」であっても、どうしても「再構築」できない関係もあることも知っているので、「必ず再構築すべき」ではなく、「距離を置く」選択もOKだと思うし、それを勧めることも出来る。

ただ、距離を置いたとしても、相手の人格の全てを否定することはないし、その人から受けた愛だったり、思いだったりは受け止め、できれば感謝して、しっかり思い起こして、深掘りしてから、これからの関わりを選択する大切さも感じているので、その思いは伝えたい。

友達との関係、家族との関係、同じコミュニティの中での人との関係も、
「後悔しない関係」が作れたらいいなと思う。
「後悔しない」ために「関わらない」という選択も含めて・・・

でもでも、できれば、自分の人生に、あえて距離を置くような関係の人、嫌いな人がいないほうがいいかなとも思う。もちろんなかなか難しいかもしれないが・・。

「喜んで豊かに生きる素敵な人生」を送るために、心していきたいと今は思っている。


<追記>

追加記事を貼り付けます。
上記、きよこちゃんの今朝の記事です。
共感です。
自分の思いを振り返り、再度深掘りした思いは素敵です。



今回も読んでくださり、
ありがとうございました<m(__)m>

「書いた人】

江村恵子@夢☆相談室・ゆるふわ雑談会です。

「恵子さん」と呼んでください。

⭐つなぎびと⭐ 元保育士/
1種幼稚園教諭/終活アドバイザー/
終活ライフケアプランナー/
身上監護アドバイザー/終活ガイド上級 ☆/
心理カウンセラー勉強中☆彡

好きなもの・好きなこと💓/
家族、旅行、自然、家庭菜園、空、新緑、花、
読書、俳句、おしゃべり、カーブス

尊敬する人/マザーテレサ

リアルでは
「終活アドバイザー群馬サークル」
代表。


オンラインでは、元保育者として、
母として、終活ワーカーとして
「素敵に生きる人生について」について
発信をしながら、
「ゆるふわ雑談会」を開催中。


また、仲間と立ち上げた「夢☆相談室」の室長もしています。

Twitterもしています。 
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よろしくお願いいたします<m(__)m>


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