御殿場高原より 25 「うつらとなきて」を巡る和歌小史
「うつらとなきて」を巡る和歌小史
1 自然に添って生きる―鳥・虫の鳴き声との共鳴
和歌・短歌の多くは「事象+感慨」の組み合わせでできています.作者はだいたい7音・5音で感慨(【】内)を加えて歌にします.
あかねさす紫野行き標野行き【野守は見ずや】君が袖振る
久方の光のどけき春の日に【しずこころなく】花の散るらん
白鳥は【かなしからずや】空の青海のあをにも染まずただよふ
東海の小島の磯の白砂に【我泣きぬれて】蟹とたわむる
柔肌の熱き血潮に触れもみで【寂しからずや】道を説く君
したがって,俳句より理屈っぽく作歌の意図がわかりやすくなっています.ただし,俳句の影響か,最近の短歌になると,上の句(575)で状況・情景を描き,下の句(77)に感慨・感想を置きます.たとえば,
「この味がいいね」と君が言ったから+【7月6日はサラダ記念日】
マッチ擦るつかのま海に霧ふかし+【身捨つるほどの祖国はありや】
のように.二番目の例は上の句だけを俳句として出してもおかしくありません.こうなると,両者の関係がわかりにくくなりますが,短歌には「AだからB」という論理構造は残っています.
ところで,創作品というものは,作者の手から離れたとたんに,同一文化圏に漂う有機的統合体となって,「表層暗号解読」の対象となります.したがって,「読む」とい行為は,作者の意図を伺うのではなく,論理構造と表層表現を組み合わせた作者語の作品を自分(読者)語に解読変換することです.たとえば,次のように.
あかねさす紫野行き標野行き【野守は見ずや】君が袖振る
↓
紫草のはえている御料地の野を行きながら,あの人ったら袖を振ったりして.御料地の番人の野守に見られたらどうするの.
五月待つ花橘の香をかげば【昔の人の袖の香ぞする】
↓
五月になったので,花橘が咲いて,花の香りがほんのりと薫った,ああ,昔愛した女の袖の香りがこれだった.
「この味がいいね」と君が言ったから【七月六日はサラダ記念日】
↓
七月五日.初めて家に彼を呼ぶ.翌朝,明るい台所でサラダを作る.横に立った彼にドレッシングを味見させたら,戸惑ったのか助辞を間違えて「この味がいいね」と言った.七月六日は私のサラダ記念日.
このような「表層暗号解読」を私は「勝手読み」と言っているのですが,その解読法を古い和歌の一つに当ててみます.『古今和歌集』では「よみ人知らず」になっていて,百人一首では猿丸太夫の歌となっている歌です.
奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の声聞くときぞ秋は悲しき(古今和歌集215)
↓
山里に暮らしているので,秋には奥山に紅葉を踏み分けて行く鹿の鳴く声が聞こえることがある.その声を聞くとひとしお秋は人恋しく感じる.
この歌で「鳴く鹿」は雄です.動物の世界では声をあげるのは雄です.存在を主張して威勢よく高らかにさえずるのは雄ですし,相棒を求めて哀切深く鳴くのも雄です.雌雄区別なく賑やかに鳴くのは餌の配分を求める雛です.雌は概して地味で無口で,鳴くのは雛とのコミュニケーションのときくらいです.鳥ばかりでなく,人の耳に残るほどの鳴き声を上げるのは虫でも雄で,これらは古から歌の材料にされてきました.鳥や虫の鳴き声を詠み込んでいる歌を数えてみると,
古今和歌集1111首のうち133首,
千載和歌集1288首のうち106首,
新古今和歌集では1978首のうち132首
です.その中から趣向を凝らした歌をいくつか古いものから順に拾ってみます.(以下の歌に付けてある訳と注釈は,いずれも岩波書店版の『新日本古典文学大系』のものです.)
●秋はぎに うらびれ居れば あしひきの 山下とよみ 鹿のなくらむ(古今和歌集216)
(秋萩に対して逢えない思いにつらく思っているので,山の麓が響くほどにひときわ高く,鹿が鳴いているのであろう.)
うらびれ居れば 萩の花は万葉集(初萩の花問ひに来鳴くさお鹿・大伴旅人・万葉集・巻八)以来鹿の妻と見なされるので,「鹿がうらびれ・・・」と解する.「うらびれ」は「うらぶれ」の転.
とよみ=どよみ
●つまこふる 鹿ぞ鳴くなる女郎花 おのが住む野の 花としらずや(古今和歌集233)
(妻を恋い慕う鹿が,そら,鳴いているよ.おみなえしを自分の住む野の花,すなわち妻そのもの,だと知らないのか.)
女郎花の「女(郎)」という名をふまえた一首.萩を鹿の妻とする発想をふまえたもの.
●山吹の 花のつまとは 聞かねども うつろふなべに なくかはづかな(千載和歌集117)
(かわずが山吹の花を夫(つま)とは聞いたことがないが,花が色あせるにつれ,それを気にしてしきりに鳴くことだよ.)
うつろふ 山吹の花の色があせる意と夫婦の愛が衰えて行く意をかけた.
●小萩原 まだ花さかぬ 宮木のの 鹿やこよひの月になくらむ(千載和歌集218)
(一面の小萩がまだ花をつけぬ宮城野の鹿は,今宵の月に秋を感じて(妻を恋うて)鳴くのだろうか.)
まだ花さかぬ 夏を表す.
鹿や・・・なくらむ 鹿鳴は秋のもの.
鹿に秋を感じさせることで「如秋」の題意を出す.
●宮木野の 萩やをじかの つまならむ 花さきしより 声の色なる(千載和歌集249)
(宮城野の萩は牡鹿の妻なのだおうか.花が咲きほころんでから鹿の声が艶っぽくなったことだ.)
色なる 哀艶で恋情のこもった様子.
宮城野の景物の鹿鳴と萩の開花を重ねて夫婦に見立てた.
●三室山 おろすあらしの さびしきに 妻よぶ鹿の 声たぐふなり(千載和歌集307)
(三室山を吹き降す山風が寂しく感じられるのに,妻を恋うる鹿の鳴き声が共に混じって聞こえてくるよ)
たぐふ つれそう,よりそう
参考:みむろ山しかのなくねにうちそえてあらしふくなり秋の夕暮(散木奇歌集)
聴覚表現を複合させて寂寥感を強調.(なお,千載和歌集は307 から325まで鹿の鳴き声である)
●たれもよも まだ聞きそめじ うぐひすの 君にのみこそ おとし始むれ(千載和歌集869)
(鶯の声をまさか誰も聞き初めたりすまい,鶯(私)はあなたに対してだけ鳴きはじめたのですよ(新年に誰よりも先に書くお便りです))
おとし始むれ 鳴き始めたのだ おと(音信)をかける.
新年の恋人へのあいさつ.
●おのが妻 こひつつなくや 五月やみ(闇) 神南備山(かむなびやま)のやま郭公(新古今和歌集194)
(自分の妻を恋い慕って鳴くのか.五月闇の中,神南備山(かむなびやま)のやま郭公よ)
五月やみ 五月雨の降る頃の漆黒の闇.
●あらしふく 真葛が原に なく鹿は うらみてのみや つまを恋ふらん(新古今和歌集440)
(嵐の吹く真葛が原で鳴いている鹿は,葛ばかりか自分もうらみに恨んでつれない妻を恋うているのであろう)
真葛が原 葛が生えている原
うらみ 葛は風に翻って葉裏を見せるので「裏見」に「恨み」を賭けるのは常套の修辞.
参考「秋風の吹き裏返す葛の葉のうらみてもなほ恨めしきかな」(古今・恋五・平貞文)
歌集の制作年代は『古今和歌集』→『千載和歌集』→『新古今和歌集』の順に新しくなるのですが,鳴き声を「子育ての鳴き声」と結びつけているのは『古今和歌集』の中の次の一首のみです.
●遠近の たづきもしらぬ 山中に おぼつかなくも 喚子鳥かな(古今和歌集29)
(遠近の見当もつかない山中で,心もとなそうにわが子を呼んで鳴くよぶこ鳥よ)
たづき 手がかりの意.
喚子鳥 鳥の声を,子を呼ぶかのように聞き取って,呼子鳥と言ったか.古今伝授三鳥(呼子鳥(よぶこどり)・稲負鳥(いなおおせどり)・百千鳥(ももちどり)か都鳥)の一つ.(呼子鳥=カッコウあるいはほととぎすの異名.
時代が下るにつれて和歌はイメージの重層化を図るようになりますが,古の知識人も鳴き声は雄と認識していたのです.この当時の人は心を自然に添わせ自然と共鳴させていたのです.
2.自然から離れる―虚構(物語)の萌芽
『千載和歌集』を編纂し,次男の定家に手伝わせて『新古今和歌集』を編纂した俊成はイメージの重層化を旨としました.「判詞(勝負判定の根拠を書き記した文章)で,優・艶などを重視し,『古今集』ほかの伝統的古歌,『源氏物語』『伊勢物語』『狭衣物語』などの物語,あるいは漢詩句や和漢の故事などを下敷きにした,いわゆる,本歌取り,物語取りの歌を推奨した」(馬場あき子・加藤恒雄『新潮古典文学アルバム10新古今和歌集・山家集・金槐和歌集』(p.20 新潮社1990/09/10))とのことです.それは,たとえば,『源氏物語』(明石)の「はるばると物のとどこほりなき海づらなるに,中々春秋の花紅葉の盛りなるよりは,ただそこはかとなう茂れる蔭どもなまめかしきに」(p.65)を踏まえた定家の歌:
●見わたせば 花も紅葉も なかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮(新古今和歌集・363)
のように,歌の奥に「ただそこはかとなう茂れる蔭どもなまめかしきに」が潜んでいます.
したがって,『伊勢物語』を本歌取りしたと言われる俊成の歌:
●夕されば野辺の秋風身にしみてうづらなくなり深草のさと(千載和歌集259)
も,道具立て(夕暮れ・野辺・秋風・うづらの鳴き声・深草)の詠み込みの巧みさから,作者(俊成)自身が自賛する(『無名抄』58段)ように,「創られた秋」の秀歌です.ただ私には「身にしみて(5音)」が,いささか饒舌に感じられるのですが・・・.
[参考]
「身にしみて」を饒舌と感じる人は昔もいました.鴨長明『無名抄』59段で,俊恵が「かの歌は,『身にしみて』といふ腰の句のいみじう無念に覚ゆるなり.これほどになりぬる歌は景気をいひ流して,ただ空に,身にしみけむかしと思わせたるこそ,心にくくも優にも侍れ.いみじくいひもてゆきて,歌の詮とすべき節をさはさはと言ひ表したれば,むげにこと浅くなりぬるなり」とぞ」と言っています.事象に語らせて主観語は出来るだけ使わずに,余白・余韻に趣意を語らせることを好む人はいつの時代にもいるのだなあと思いました.
さて,この「夕されば野辺の秋風身にしみてうづらなくなり深草のさと」ですが,「うづらなくなり」の鶉の鳴き声は,いにしえの知識人(鴨長明,その師である俊恵,作者の藤原俊成,など)も雄と認識していたと思っていたので,この歌は
A:この深草では,夕暮になると野づらを渡ってくる風が冷たくて,そこに連れ合いを求めて鶉が哀しげに鳴くのが聞こえるとなると寂しさが身にしみることよ.
と「解読」出来るはずなのですが,ちょっと違う解読もされているようなのです.『新日本古典文学大系10・千載和歌集』(片野達郎・松野陽一校注・岩波書店・1993/04/20)によると,
B:夕暮が迫ると,野面を渡ってくる風が男に捨てられて鶉になった私には冷たく身にしみて感じられて鳴いているのよ.この深草で.
と解され,次のような訳注がついています.
秋風 「飽き」をかける.
身にしみて 男に捨てられた女の化身である鶉が感じている.話主が感じるの解あり(無名抄)
うづら 「憂」「辛」をかける.
本歌「野とならば鶉となりて鳴きおらんかりにだにや君は来ざらむ」(伊勢物語123段,古今・雑下・読人しらず).捨てられた女の化身鶉の鳴き声.話主は現実と物語世界を往反しつつそれを聞く.
となっています.「男に捨てられた女の化身である鶉が秋風の冷たさを感じて鳴いている」という訳です.「話主が感じるの解あり(無名抄)」)は,「鳴くのは雄」という認識に基づく解釈(A)です.「男に捨てられた女の化身である鶉が感じて」と解釈(B)にすると「鳴くのは雌」ということになります.「女が泣く」というこの解釈は,どこから来たのでしょうか.おそらく,俊成が『伊勢物語』の歌を「本歌取り」したという先達たちの解釈に起因すると思われます.
俊成が「本歌取り」したとされている作者不詳の『伊勢物語』(在原業平の和歌を多く採録)の123段は,こうなっています.
むかし,おとこありけり.深草に住みける女を,やうやうあきがたにや思けん,かかる歌をよみけり.
206 年を経て 住みこし里を 出でていなば いとど深草 野とやなりなん
女,返し,
207 野とならば 鶉となりて 鳴きをらん かりにだにやは 君は来ざらむ
とよめりけるにめでて,行かむと思ふ心なくなりにけり.
(『新日本古典文学大系17 堀内秀晃・秋山虔校注「竹取物語・伊勢物語」』(1997/1/27 岩波書店 pp.192-193)
校注者は,最初の歌(206)を「長年の間あなたと一緒に住んで来たこの里をわたしがでていってしまったら,この深草の里はますます深い草の野となってしまうだろうか」と解釈し,二番目の歌(207)は「あなたに去られてここが草深く荒れた野となったら,わたしは鶉となって鳴いておりましょう.そのうち,せめてあなたは狩りにぐらいは来てくださらないでしょうか,いやきっと来てくださるでしょうから.」と解釈して,「鳴き」は,男に捨てられたのを泣く意を掛ける.「かり」は「狩」に「仮」を掛け,せめてかりそめの気持ちででもを含意.」と注釈をつけ,さらに,次のような解説を加えています.
古今集では206番歌の詞書は「深草の里に住み侍りて,京へまうで来とて,そこなりける人によみておくりける」とあるが,この段では「やうやうあきがたにや・・・」という男の心の点出によって,この男女関係が生彩を帯びる.207番歌は.2・3句が「鶉と鳴きて年を経む」とある古今集では,男に去られた後,鶉が鳴くように泣きくらすであろうさびしさを訴えるのに対して,自身を鶉に変身させ,せめて男に狩られたいと願う切実な女心の吐露となっている.男の心を揺さぶり引き寄せるのに十分な歌であるといえよう.
『古今和歌集』の歌と『伊勢物語』の歌の違いと,「せめて男に狩られたいと願う切実な女心の吐露となっている.男の心を揺さぶり引き寄せるのに十分な歌であるといえよう」という解釈に,私はなんとなくポピュリズム(大衆迎合)を感じてしまいます.上の注釈では「2・3句が「鶉と鳴きて年を経む」とある古今集では・・・」となっていますが,『古今和歌集』では本当に「鶉と鳴きて」なのでしょうか.『新日本古典文学大系5・古今和歌集』(岩波書店)でみると,
深草の里に住は侍て,京へまうで来とて,そこなりける人に,よみて,贈りける
年をへて 住みこし里を いでて去なば いとど深草 野とやなりなむ(古今和歌集971)
の返歌として「読人しらず」で
野とならば うづらとなきて 年は経(へ)む かりにだにや きみは来(こ)ざらむ(古今和歌集972)
となっています.注釈者は
おっしゃるようにこの深草の里がひょっとして「野」に成るのならば,わたくしも「鶉」に化けてその名のように「憂(う),つら(い)」と泣いて年月の経ることになるでしょうよ.でも,あなたはその鶉を狩りにたとえ仮りそめにでもおいでくださるでしょうかね.
と解釈して,
うずら 自分をたとえる「鶉」と悲しい思いという「憂(う),つら」を掛ける.「鶉」は「ガマ」の化けたものとされる.准南子
と説明しています.
どうもおかしい.そこで,日文研(国際日本文化研究センター)のデータベースを見てみました.すると,
00971
[詞書]深草のさとにすみ侍りて,京へまうてくとてそこなりける人によみておくりける
業平 なりひらの朝臣(017)
年をへてすみこしさとをいてていなはいとと深草のとやなりなむ
としとをへて―すみこしさとを―いてていなば―いととふかくさ―のとやなりなむ
異同資料句番号:00971
00972
[詞書]返し
読人不知 よみ人しらす(000)
野とならはうつらとなきて年はへむかりにだにや君はこさらむ(下線は筆者)
のとならは―うつらとなきて―としはへむ―かりにたにや―きみはこさらむ
異同資料句番号:00972
となっています,比べてみると,こちらには「業平」の名前が出てくる点と,「うづら」が「うつら」になっている点が異なっています.昔は濁音も清音で表記したので,名詞としては「うつら」は「うづら」でも構わないと思うのですが,後に「[と]鳴きて」が続くとなると,[と]の前に来るのは,普通「鳴いた声」(「憂いよ辛いよ」)を提示するものです.岩波書店版では「清濁は校注者の考えにより・・・」となっているので,おそらく,『古今和歌集』は,元は日文研データベースのように,「別れの挨拶」の歌に対して歌を「返し」たのは長年の男友達でも一緒に暮らしてきた女でもよく,暗に「鶉(うづら)」を掛けて「(憂い・辛い→)憂辛[と]鳴きて」であったのだろうと思われます,この場合,「と」は直接話法を引用する[と](引用)です.「(雄の鶉が)鳴く」を「泣く」にかけて女を泣かせるには,[と]を「共に」(同時)あるいは,「のように」(比喩)の「と」と解さなければなりません.が,「のように」の場合は「雄の鶉のように」なのか「雌の鶉のように」なのか区別がつきません.『新日本古典文学大系17 堀内秀晃・秋山虔校注「竹取物語・伊勢物語」』(1997/1/27 岩波書店 pp.192-193では校注者は,「207番歌は.2・3句が「鶉と鳴きて年を経む」とある古今集では,男に去られた後,鶉が鳴くように泣きくらすであろうさびしさを訴えるのに対して・・・」と解釈しているのですが,[と]を[ように]と解釈するのは後の「鶉となりて」の移行に近いかもしれません.ここで「雄の鶉」と採るには「と」を「同時の[と]」と解さなければなりません.このあたりのことに関心を持った人はいないか調べて見ると,窪田空穂がいました.彼は「鳴くのは雄」を認識していて,『古今和歌集評釈』(昭和35年改訂新版,東京堂出版)で
鶉と鳴きて 「鶉」は,野に住む鳥で,眼前のものと取れる.「と」は,とともにの意のもの.「鳴きて」は作者で,その泣くのは,業平との別れての悲しみによるもの.
[評]上に「鶉と鳴きて」といって「かりにだにや・・・」とのつながりを保っているところ,巧みである.すなおであるが,聡明で思慮のある女を思わせる.
と解しています.『伊勢物語評釈』(昭和30年,東京堂出版 p.291)でも同じように書いています.この評は論理的で正しく,鳴くのは雄とわかって評しています.これなら「行かむと思ふ心なくなりにけり」につながります.
一般に,『伊勢物語』(平安初期)は『古今和歌集』(平安前期(912年))より前に制作されたと言われていますが,このように見てくると,おそらく,制作年代は逆で,自然の理にかなった『古今和歌集』の歌(鶉の雄が「うつらとなきて」)が原型で,それが,「雄の鶉と(ともに)鳴きて」に変わり,さらに「(雌を求めて)雄の鶉が鳴くように)人間の女の私はあなたを求めて泣いて待っています」と比喩化され,「女が泣く」が公認され,ポピュリズム的創作『伊勢物語』の自然の理に反する歌(雌が「うずらとなりて鳴きおらん」)が創られたのではないかと推察できます.何だか「演歌の誕生」に立ち会ったような気分です.つまり,
[古今和歌集]
う(憂)つら(辛)[と](引用)鳴きて
↓
鶉[と](ともに・一緒に)(同時)女も鳴きて(泣きて)(空穂は「贈答二首で,おのずから物語をなしている趣がある」と評している.)
鶉[と](のように)(比喩)女も鳴きて(泣きて)
↓
[伊勢物語]
(女が化けて)鶉となりて鳴き(泣き)おらん
となり,したがって,これらの制作年代は
『古今和歌集』
『伊勢物語』
↓
『千載和歌集』
↓
『新古今和歌集』
の順でしょう.『千載和歌集』の俊成の歌「夕されば野辺の秋風身にしみてうずらなくなり深草のさと(259 千載和歌集)」は『伊勢物語』(鶉は雌)の「本歌取り」でなく,『古今和歌集』(鶉は雄)の「本歌取り」と思われます.かりに『伊勢物語』(鶉は雌)の「本歌取り」であっても,「鶉」を「雄」にしたのは,その時代の知識人としての俊成の見識でしょう.
[参考]
『伊勢物語』が『古今和歌集』より後ということは,東洋大学名誉教授河地修氏が別の材料を基にして推定しています.氏のホームページ「『伊勢物語』の成立を考える(3)」によると,「『古今集』中の業平歌30首は,すべて漏れることなく,『伊勢物語』の中に存在している.これは作為としか考えられないことであって,よく考えればこのことは『伊勢物語』の成立が『古今集』の成立よりも後の時点であることを物語るものである.すなわち,『古今集』の「業平歌」30首を核として,『伊勢物語』は制作されたものである」と主張しています.
『伊勢物語』の原本は残っていません.何時誰が書いたのかわかりませんが,写本が数多くあるということは,この物語(『伊勢物語』)は人々に好まれて当時からよく読まれていたということです.したがって,『伊勢物語』123段:
むかし,おとこありけり.深草に住みける女を,やうやうあきがたにや思けん,かかる歌をよみけり.
年を経て 住みこし里を 出でていなば いとど深草 野とやなりなん
女,返し,
野とならば 鶉となりて 鳴きをらん かりにだにやは 君は来ざらむ (下線は筆者)
とよめりけるにめでて,行かむと思ふ心なくなりにけり.
の「鶉となりて鳴きをらん」は人々が受け入れやすい「男と怨念含みの賢い女の物語」にするための創意工夫でしょう.地味で無口な鶉の雌が「さびしいと鳴いています」と変えるのは自然の理に反しますが,人間の賢い女が「さびしいと泣いています」と変えるのは憧憬的に情が許すのです.
繰り返しますが,創作品というものは,作者の手から離れたとたんに,同一文化圏に漂う有機的統合体となって,「表層暗号解読」を楽しむ読者のものです.
読むという行為は「作者語を手がかりに自分語に変換して作品を作り上げる」ことです.私たちは散文に対しては論理性を求めますが,韻文に対してはイメージの組み合わせに超論理を許すのです.それは,たぶん,散文には論理的納得(logical satisfaction)を求め,韻文には感覚的共鳴(emotional fusion)を求めるからでしょう.シクラメンという花には「香り」はないのですが,小椋佳作詞・作曲で布施明の歌う『シクラメンのかほり』を私たちは文句なく許しています.なぜか.それは「読む」ということが単なる暗号解読と違って,金田一京助が言う「ことばは心の城壁に通じる唯一の小径」であり,「読む」ということはその小径をたどる旅だからです.
『伊勢物語』の影響か,歌は自然の理から離れていきます.『新古今和歌集』になると,「鳥・虫の鳴き声」が「女の泣く心」と関わる歌が現れます.
●秋をへて あはれも露も 深草の さと訪ふものは うづらなりけり(新古今和歌集512)
(幾年を経て,あわれさも,置く露も深いこの深草の里を訪れるのは鶉ばかり)
本歌(一)「年をへて住み来し里を出でていなばいとど深草野とやなりなむ」(二)返し「野とならば鶉となりて鳴きをらむかりにだにや君は来ざらむ」(伊勢物語123段.古今・雑下にも)正治に年(1200)院初度百首.詞書は誤り.
秋をへて 「秋」は歳月の意で,本歌「年をへて」と同義であるが,「露」「うづら」の縁語でもある.
深草 深い意と地名(→293)を掛ける.
うづら 鶉.あわれ深い秋の景物とされる.>女の心で歌う.
●入日さす 麓のおばな うちなびき たが秋風に うづら鳴くらん(新古今和歌集513)
(入り日のさしこんでいる麓のすすきの穂が靡く折節,いったい誰に飽かれたのを憂しといって秋風の中,鶉は鳴いているのであろう)
秋風 「秋」を「飽き」に掛けるのは常套.
うづら 「憂し」と掛ける.
叙景詩的表現の中に「たが」が挿まれることのより一転本歌取りの歌となって,鶉に捨てられた女の面影が重なる.参考「夕日さす裾野のすすき片寄りに招くや秋を送るなるらむ」(後拾遺・秋下・源頼綱)
●あだにちる 霧の枕に ふしわびて うづらなくなり とこの山風(新古今和歌集514)
(置く露がいたずらに散る枕では寝つかれないで,鶉がないているよ.床に吹きおろす鳥籠の山風に)
あだにちる 露がわけもなく散る意に,いくら泣いても思う相手は来ず,甲斐がない意を兼ねる.
露 涙の露を兼ね,「なく」の縁語.
とこの山 近江の国の歌枕.「床にそふ」(和歌初学抄)とあり,ここも「床」に掛け,かつ枕の縁語.
>表は秋歌であるが,やはり独寝の床に伏して涙にくれる恋歌の情景を重ねている.
3.自然の理を超える―虚構(創作)の世界
次の歌はどちらも「物語取り」ですが,初めの歌は王と家臣の故事を夫を気遣う妻の気持ちに置き換えており,二つ目の歌は「秋のなごり」を加えることによって本歌を超えて,もはや「創作」です.
●ふるさとに 衣うつとは ゆく雁や 旅の空にも なきてつぐらん(新古今和歌集481)
(古里で私が衣を打っているということを,あの飛びゆく雁は同じ旅の空にいる夫に鳴いて告げるのであろうか)
旅の空 夫が旅にいるという設定は「うつ衣」の本意.→475
なきてつぐ 雁の音信のこと.匈奴に囚われた前漢の蘇武が北海から手紙を雁の脚に結んで漢王に送った故事による.
●霜枯れは そことも見えぬ 草の原 たれに問はまし 秋のなごりを(俊成女・冬・617)
『狭衣物語』の巻二の冒頭の場面で詠まれた「尋ぬべき草の原さへ霜枯れて誰に問はまし道芝の露」(岩波版『狭衣物語』p.119)を本歌として詠んだ歌.馬場あき子は「目の前に広がる霜枯れの景色の中に,美しかった秋の千草のゆくえを求める秋の表の世界に,恋人のゆくえを求める物語世界が重なって,奥深い歌となっている.」(馬場あき子・加藤恒雄『新潮古典文学アルバム10』p.39)と評しています.
そして,自然の理を超えることによって,次のような美しい歌が生まれます.
●うすくこき 野辺のみどりの 若草に あとまでみゆる 雪のむら消え (宮内卿・春上・76)
●花さそふ 比良の山風 吹けにけり こぎ行く舟の あとみゆるまで(宮内卿・春下・126)
●待つ宵に ふけゆく鐘の こえきけば あかぬ別れの 鳥はものかな(小侍従・恋三・1191)
二十歳前後で亡くなったという宮内卿の歌の瑞々しいこと.いい歌です.こういう才能には時々高校生短歌で出会いますが・・・.
[参考にした文・データベース・ホームページ]
小島憲之・新井栄蔵校注『新日本文学大系5 古今和歌集』(岩波書店・1989/02/20)
片野達郎・松野陽一校注『新日本古典文学大系10 千載和歌集』(岩波書店・1993/04/20)
田中裕・赤瀬信吾校注『新日本文学大系11 新古今和歌集』(岩波書店・1992/01/20)
堀内秀晃・秋山虔校注『新日本古典文学大系17 竹取物語・伊勢物語』(岩波書店・1997/1/27)
柳井滋・室伏信助・大朝雄二・鈴木日出男・藤井貞和・今西祐一郎校注『新日本古典文学大系19~22 源氏物語1~4』(岩波書店・1994/1/20)
三谷栄一・関根慶子校注『日本古典文学大系79 狭衣物語』(岩波書店・昭和40年8月6日)
鴨長明・大久保淳訳注『無名抄』(角川学術出版・2013/03/25)
馬場あき子・加藤恒雄『新潮古典文学アルバム10 新古今和歌集・山家集・金槐和歌集』(新潮社1990/09/10)
日文研(国際文化研究センター)のデータベース
河地修(東洋大学名誉教授)氏のホームページ「『伊勢物語』の成立を考える(3)」
窪田空穂『伊勢物語評釈』(昭和30年,東京堂出版)
窪田空穂『古今和歌集評釈』(昭和35年改訂新版,東京堂出版)
[書架にある以前読んだ本]
岡井隆『韻律をモチーフ』(大和書房・1977/04/25)
馬場あき子『短歌と日本人Ⅲ 韻律から短歌の本質を問う』(岩波書店・1999/06/25)
来嶋靖生『韻律・リズム 短歌の技法』(飯塚書店・2003/01/10)
岡井隆・金子兜太『短詩系文学論』(紀伊國屋書店・2007/06/15)
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