御殿場高原より 28 おばあさんの野菜棚

おばあさんの野菜棚

 「道の駅・ふじ小山」には近隣で採れる旬のものも置かれる.水菜漬け,山ウド,クレソン,トウモロコシ,サツマイモ,栗,などなどが置かれる.山ウドは市販のものより細くて短いが香りがよい.最近は栽培されたものもあるが,クレソンも野生のものであった.このあたりは富士山の雪解け水が湧水となってあちこちで噴き出していて,小さな流れの脇によく自生している.昔は崖を降りて自分で採ったが,さすがに歳で足がおぼつかなく,最近では農家で売り出しているものを買っている.
 クレソンを初めて食べたのは大学の会食の時だった.私が勤めていた大学では学年ごとに行事があった.学長が,せっかく東京に出てきたのだから一流の音楽やオペラや歌舞伎など楽しむべきだと,場合によっては貸し切りで学生たちに楽しませた.ドイツのオペラ団が初めて東京で公演したときなど,上演時間が4時間に及ぶ『ローエン・グリーン』を貸し切りで楽しんだ.東京にいてもこういうものはなかなか楽しむ機会が少ないので,時には味わってもいいだろうということなのである.それに一年生にはホテルの広間を貸し切って教師との会食があった.ラテン語を教えてもらった神田先生によると,オックスフォード大学でも,学寮の食堂で,教師と学生との会食があり,優秀な学生は教師と同じテーブルに着くことができるとのことであった.私たちの大学では教師は教師だけであったが,そのときたまたま農学部の竹類の分類では世界的に有名な先生と並んでテーブルについた.ステーキの皿に載ってきた青い草を,野菜嫌いな私が眺めていいると,分類学の権威が「クレソン,水芹です.おいしいですよ」と小声で教えてくれた.以来,クレソンは好物になっていたが,東京ではそのつもりで買いに行かなければ手に入らないのであるが,ここでは,特に夏になると,一束100円で売られるのである.
 この「道の駅」は,国道246の道路沿いにできた売店で,土地の農家が持ってきたものを買うことができるようになっている.季節の新鮮な野菜を百円単位で手に入れることが出来る.9月の下旬くらいまで,朝取りのキュウリ,ナス,インゲン,シメジ,枝豆などを買うことができる.このあたりでは,9月下旬の枝豆がおいしい.その上,農家の人たちは好奇心旺盛なのか,競争なのか,思いがけない野菜が並ぶ.エシャロット,ズッキーニ,など.すべておいしい.
 私は,お昼を食べて一時間半ほど昼寝してから散歩に出る.田んぼや畑の中の農道を一時間ほど歩く.
 途中の畑でおばあさんが仕事をしている.息子にでも買ってもらったのか子供の手押し車ほどの小さな耕耘機で畑を耕しては腰を伸ばす.何か蒔いたり植えたりしてまた腰を伸ばす.苗を植える手つきは,赤子をさわるようである.泥にまみれた皺の多い手の甲を上にして土をそっとなでている.売ることより作ることが習慣になっている姿である.
 先日,糖尿の検診で富士小山病院へ出かけたら,眼科の前で老婆と看護師がベンチで話をしていた.どうも,老婆は一週間後に右の目の白内障の手術をするらしい.看護師は,ごく当たり前のように,老婆と世間話をしている.それによって,老婆が93歳であること,48歳で夫に先立たれ,一人で農業をして,男の子二人と女の子二人の四人の子供を育てたことなどを知ることができた.手術に際して「入院するか」と尋ねられると「一日入院した方が安心だろう.手術しなくてもいいのだけど,冥土もよくみたいしな」と言い,「全部で10万も準備すればいいか」と尋ねた.看護師は「三万ほどですむ」と答えると,「そんなに安いのかね」と驚き,「これは野菜を作って貯めた金だ」と言っていた.野菜の種は一袋百円ほどである.それに,おばあさんの労働と太陽や雨など自然の恵みで,一束百円としても10束,20束と野菜ができ,千円,二千円となって,おばあさんの蓄えに加わったのだろう.自然の中で自然に暮らして自然に老いる生活をしてきたらしい.
 御殿場の街に通じる道の一つに,昔の小道をそのまま広げたと思われる道路がある.だからカーブがよいし,高低差が少ない.昔は大八車を引いて街の市場の行き帰りに使ったのであろう.その旧道を一日に数本,ほとんど乗客のいない路線バスが走っている.今は起伏のある直線の広い道路が他にあるからあまり使われていないが,かつては村の幹線であったのだろう.カーブが地形に沿っていて,実に人間的で,軽自動車をゆっくり走らせても自転車で走ってもそのカーブが快い.その途中に農家があって,何時頃からかプラスチックの屋根付きの棚ができて,鎖で縛ったた金庫箱と野菜が置かれるようになった.一袋百円で,茄子,胡瓜,じゃが芋,ピーマン,玉葱などが置かれている.私たちは通り掛かりに車を止めて,小粒の玉葱,小さなじゃが芋,まがった胡瓜などを買って味を楽しんでいた.多分,「道の駅」の売店に出すほどの量ではないか,そこまで運ぶ手段がないかであろう.その農家の近所に,我が家に出入りしているクリーニング屋さんがいて,「あの野菜は,誰が出しているのか」と尋ねたところ,あの棚の裏手の農家のおばあさんが出しているということであった.「ああ,あのおばあさんか」と納得した.
 そのおばあさんは目がしっかりしているので印象に残っていた.
 ある時,妻が「こういう物が欲しい」と頼んだことがあった.余計な口は一切はさまず,しっかりした目で受け止めていたのである.
 「一日いくらになるだろうか」と余計な計算をしたり,しばらく野菜が置かれないと「いくらか溜ったから,温泉にでも行ったのかな」などと勝手な想像をして通っていた.
 その夏は,そのまま野菜のことは忘れておわった.
 また夏が来たが野菜が出ない.クリーニング屋さんに尋ねるとおばあさんはすでに亡くなっていた.
 「私たちはおばあさんの野菜を楽しんでいたのよ,と息子さんに伝えてちょうだい,そして,できれば,おばさんの思い出のために息子さんが野菜を続けてくれると嬉しいんだけど・・・」と妻は言いそえた.
 また夏が来て棚には後ろから紫陽花が花を伸ばしていた.おばあさんの棚は紫陽花の棚になってしまったのかなと思って見ると,白い札が下がっていた.車を止めて読んでみると「朝採れた野菜.どれでも百円」と書いてあった.ああ,話が伝わったんだ.その日は札だけだったが,次の日に車で通り掛かりに棚を見ると,小粒のじゃが芋が二袋,胡瓜が四袋置いてあった.私たちはじゃが芋二袋と胡瓜二袋とって四百円金庫に落とした.

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