御殿場高原より 23 「古池や」という発想

「古池や」という発想

 太陽の光が暖かく感じられて,自然が死から生へ転換する頃になると,「古池や・・・」という俳句が頭に浮かんできて,古池がまた一年古くなったなと思う.そして,「すごくいい句だ」といつも思う.
 私は小学生ころから「言った人の気持」とか「書いた人の気持」を尋ねる質問には「わかりません」と答えてきた.そんな人の心を探るようなことはしたくなかった.それで「頭の悪い子」と思われていたらしい.成績はいつも「良」であった.中学生・高校生になっても「作者の言わんとするところを書け」という問題には「わかりません」と答えてきた.作者の腹を探るような品の悪いことはしたくなかった.そして,心では「そうじゃないだろう,言葉が何を伝えているかを書けだろう」と反発してきた.だから,今でも「いつ・どこで・何が・あったか」のニュースは読んだり聴いいたりするが,「解説」特に「推測解説」は聴かないし,読まない.私は言葉と言葉の組み合わせの効果を探るのが好きなのである.たとえば,『哀愁』(原題:Waterloo Bridge)という映画にはウオーターローブリッジの上で男と女が"Do you love me?" "Yes!" "Really?" "Yes, completely!"と言い交わす場面がある.欧米の文化では現世に「完全」はない.だからCompletelyはこれから悲劇が始まるぞというサインである.こういう言葉を文化の表象ととらえ,その組み合わせから生じるイメージを「勝手に探る」のが好きなのである.作者の意図などどうでもよい.作者が作った言葉の組み合わせから生じるイメージの妙が面白い.言葉の組み合わせの妙を感知したい.その意味で「古池や蛙飛びこむ水のおと(芭蕉)」は格好の材料であった.
 この句は有名な割にはわかりにくいらしい.いや,わかりにくいから有名なのかもしれない.そのためか,この句の解説は,私の最も嫌いな推測解説ばかりである.手元にある『俳句の解釈と鑑賞事典』(尾形仂編・旺文社)には,この句の意味は

 草庵のかたわらに古池がある.遅々として静かな春の日中,時折,蛙がその古池の水面に飛び込む音が聞こえてくる.

ということだと出ている.解説によると,最初は「古池や」でははく「山吹や」であったのを,後から「古池や」に変えたという.
  なぜ変えたのか.
 「古池や・・・」への改稿は,芭蕉庵にたまたま古い池があったということを言おうとしたのではなく,古くて忘れられた無用の池,つまり貧しい詩人・隠者にふさわしい情景として選びとられた言葉である,と説明されている.漢詩では,古池,詩人,隠者は決まった結びつきなのだそうで,「したがって,一句の眼目は,和漢の伝統的表現「鳴蛙(めいあ)」を,水に飛び込む音の把握によっていっきに乗り越えようとする点にあったといえる.蕉風樹立の記念碑とされる理由もここにある」と書いてある.なるほど.こういう読みもあってもいい.先生や学者は得てしてわからないときにはペダンティックな知識をひけらかして煙に巻く.この説明では,なぜこの句が人々の心に残るのかわからない.しかし,「創作品」(文学作品だけでなく,絵画も彫刻も映像の作品も)の不思議なところは,誰かが「すごい」と言ったから名作として残るのではなく,多くの人たちが,「(説明はできないけれども)すごい」と無意識の感性で感じたから名品として残るのである.人々はこの句から何を感じとって「すごい」としたのであろうか.
 江戸の昔にも現代にも「古池」はある.最近は農薬のせいで少なくなったが「蛙」もいる.運がよければ「蛙が水に飛び込む音」も聞くことができる.時代が変わっても同じ事象があり,読んでわかる言葉があるのに,この言葉の組み合わせから感じられる「すごさ」を誰にも説明できない.
 なぜか.
 この句は,欧米の文法を当てはめた日本語の学校文法でいう「文には主語と述語がある」というような「文」ではない.しかし,上の解説においても,他の多くの人たちも

 古池や蛙飛びこむ水のおと

と目で読み口で言いながら,頭の中では

 古池に蛙が飛びこむ水のおとがした

と「文」にして読んでいるように思われる.
 「言葉」というと必ず「主部+述部」の構造を前提とするという論理・推論で読むと,この句はどの様に解釈されるのであろうか.それは翻訳を見るとわかる.
 この句をもっとも早く英語にしたのは正岡子規 (The old mere! A frog jumping in The sound of water) であるが,欧米人ではラフカディオ・ハーンが最初である (1898年).彼は

 Old pond--frogs jumping in--sound of water.
(『小泉八雲作品集2--随想と評論』p.235 (1977/4/15、河出書房新社)

と英語に変えた.これは「古池や」で切れて「蛙飛び込む水のおと」と二つの情報から成っている句を,「5」「7」「5」に分けてとらえて,

 「古池や」「蛙飛び込む」「水の音」

のように理解して英文に変換しようという努力の見える訳である.
 次に B. H. チェンバレン(1902年)が英語に訳した.

The old pond,
Aye! and the sound of a frog leaping into the water.
 これは「古池や/蛙飛び込む水のおと」と区切っているのであるが,「蛙」と「水の音」の順序が入れ替わっているのでイメージが乱れてしまっている.それから,ドナルド・キーンは

The ancient pond
A frog leaps in
The sound of the water.

と訳した.R. H. ブライスは

The old pond,
A frog jumping in
Plop!

と英語に変えた.
 読者に何の情報も与えないで最初に出てくる可算名詞(pond)に定冠詞(the)をつけると,それは「相互了解要請」で「古い池が一つあると了解してくれ」ということである.場所が確定すると,次の不定冠詞 (a frog) は数詞の one の意味である.現在時制は情報的には「いつものこと」を表す.現在分詞は,「現在,あるいは,主動詞と同時,の動作状態」を「臨場感」を伴って表す.したがって,キーンの訳は「古い池あり.蛙が一匹飛び込む.水の音だ」くらいか.ブライスのは「古い池あり,ほら,蛙が一匹飛び込んでいる.ポチャン!」くらいである.
 日本人では,子規の他に,新渡戸稲造 (An old pond A frog jumps in A splash of water) や鈴木大拙 (The old pond, ah! A frog jumps in: The water's sound) の訳が知られている.新渡戸稲造は,単位情報の中で名詞にはすべて不定冠詞を使っている.これは Once upon a time there was an old man in a village. と同じで「古池あり,蛙が一匹飛び込んで,水が撥ねる音がする,と思ってくれ」というお伽噺的な書き方である.
 どの訳文も,「文」ではない俳句をそのまま俳句の表現様態に合わせて訳そうと努力している.訳した英米の文人たちはいずれも,ある程度は日本語がわかる人たちであるから,日本語の固有性や文化的な背景に関する知識や感性を持っているであろうが,私たちが英米の詩を読むときに英米人の読みを参考にするように,大方の日本人の読み,つまり,「この句は静寂・静かさを表している」という解釈を拠り所にして句の含みを理解していると考えることができる.
 そのような日本人の読みの含み,つまり「静寂・静かさ」を明瞭に示しているのは,アメリカの小学校の教科書に採用されているという英訳(『海を越えた俳句』(佐藤和夫著,丸善ライブラリー,p.52)で,

An old silent pond...
A frog jumps into the pond,
Splash! Silence again.

となっている.アメリカの子供たちにはこの句が何を意味しているのかわからないので,一般の日本人が,飛び込んだ蛙は一匹として,「古池」「蛙一匹」「水の音」のイメージからとらえる「静寂・静かさ」を silent; silence と明示したのであろう.その上,音節を575に合わせるという工夫までなされている.
 この句が「静寂・静かさ」を表していると解釈されていることは,日本文学研究家で翻訳家でもあるサイデンステッカーが「古池」を old pond と訳したのでは英米人はイメージがつかめないので quiet pond とすべきだと言っていること,ハリー=ベーンも「水の音」だけでは意味が伝わらないので「水の音,そして後は静寂」と訳しているとのことからもわかる.
 この句は確かに「静かなイメージと印象」を与える.ハーンは蛙(frogs) を複数にしているし,日本人の中にも蛙は何匹かいたほうがおもしろいという人(アメリカ文学者・詩人の金関寿夫)もいる.読み方はいろいろあっていい.
 「古池」というと,「あおみどろに覆われた池」が目に浮かぶ.「蛙飛び込む水の音」はそれほど大きな音ではない.したがって,「蛙の飛び込んだドボという音」が聞こえるくらい静か,だから,蛙が飛び込む水の音を聞き取るくらい芭蕉の心は静まりかえっていたのだという読みをする人もいる.なぜ蛙は飛び込んだのか.人などだれも来ないと思っていたら人の気配がしたからあわてて飛び込んだ,あるいは,冬の間地中で眠っていた蛙が,暖かくなって出てきてひなたぼっこしていたら,それを捕食しようとして音もなく動く蛇の気配を感じたからか.「人」はどこにも描かれていないが,「水の音」を聞いている忙しくない人がいる.この俳句から伝わってくるのは「静寂」であり,しかも時候から言って「暖かい物憂い静寂」でもある.「蛙」は季語としては仲春である.仲春というのは陰暦二月,今の三月ごろのことで,いわゆる啓蟄(けいちつ)の頃ということになる.それで,中には,春の生命の発動を暗に示している,だからこの句は「動と静」なのだと読んで感動している人もいる.それでもいい.
 もう少し詩歌の素養のある人の読み方はこうだ.この句に関して,芭蕉の高弟の其角は「山吹や・・・」とするように勧めた.其角の素養では,日本の詩歌では「蛙」というと「鳴く」ときまっていたからである.たとえば「かはず鳴くかみなび河にかげ見えていまや咲くらん山吹の花」(『新古今集』)のように.また,漢詩の素養のある教養人は,「蛙と古池」という組み合わせは,漢詩でよく使われるもので,この組み合わせから出てくる連想は「詩人・隠者」であるから,「蛙鳴く」と「貧乏な詩人」とを結び付けるのが普通だ,が,蛙を水に飛び込ませたのは「ひねり」として面白いと読む.それでもいい.
 しかし,芭蕉は「鳴蛙(めいあ)」という和歌や漢詩の伝統的組み合わせを避けて,蛙を鳴かせずに水に飛び込ませた.芭蕉は「古池」にこだわった.なぜ?
 芭蕉の句を聞いた弟子たちも含めて,過去にいろいろな人に読まれ,また現代でもいろいろな読みが可能のようであるが,どの読みも,この句が「名句」として残っている理由の説明として納得のいくものではない.
 俳句に関する説明が論理的だと日頃から感心している長谷川櫂氏が『古池に蛙は飛び込んだか』(2005/06 花神社)という本を書いている.氏は自分の読みを,最後に「古池に蛙は飛び込まなかった」というタイトルでまとめてくれている.氏の読みのポイントは次の通りである.

 「古池に蛙が飛び込んで水の音がした」という意味であると誰もが信じて疑わない芭蕉の古池の句が,ほんとうはそんな意味ではなく「蛙が池に飛び込む音を聞いて心の中に古池の幻が浮かんだ」という句であること.支考の『葛の松原』と去来の『去来抄』が二つの書物を書き残してくれなかったら,私自身,いまだにこの句は「古池に蛙が飛び込んで水の音がした」という句であると信じ,つまらない句だなあと思っていたにちがいない.(p.1749)

 しかし,これでもやはり,なぜ「古池や・・・」なのかを説明したことにはならない.
 普通,読者は,作品と向き合った時,作者が提示した言葉から意味をとり,イメージを喚起させて感じ入るのであって,作者がいつ,どこで,どんな理由で,何を根拠に書いたかなどと問わない.作者の生まれ故郷や生活したところを調べたりするのは「文学散歩」「芸術散歩」という一種の文化的遊びであり,学者が作者の創作の動機や影響された作家を調べたりするのは職業的使命である.
 俳句は普通の「作者が提示した言葉から意味をとり,イメージを喚起させて感じ入るという素直な読み・楽しみ方」を許さない難解な創作なのだろうか.「古池や蛙飛び込む水のおと」を味わうには,努力をし,文献を読み漁らなければならないのであろうか.
 小説を読んだり詩を読んだり芝居を観たりするとき,私たちは「言葉に対する自分の感性・知識・見識・想像力」で「勝手に」楽しむ.俳句も,「俳句」という特殊な形態に関する最少限の約束を取り交わしたら,あとは,「読む者」が自分の「言葉に対する感性・知識・見識・想像力」に基づいて「勝手に」楽しんでいいはずだ.「読む」とは,そもそも「作者の意図」など関係なく,読者が「勝手に(解釈して)読む」ことである.
 言うまでもなく,作者は読者を論理的・心理的に納得させるだけでなく,感覚的にも納得させるために技巧を凝らす.それは当たり前のことである.なぜなら,作者が発信に使う作者の「内的資源(集合イメージ+符牒)+α(感覚情報・文化差・個人差)」と,読者が受信に使う読者の「内的資源(集合イメージ+符牒)+β(感覚情報・文化差・個人差)」は異なるからである.それにもかかわらず,作者は自分の意図・意味・イメージした通りに読者に伝えたいと願うから「符牒の共通運用ルール」にしたがって様々な技巧を凝らすのである.
 しかし,「共通のルール」で運用される言葉で作品が創られていても,作者と読者が異なる「内的資源」(作者語と読者語)を使うという意味において,作者と読者の関係は「対応変換ルール」にしたがって理解し合う異言語間(たとえば,日本語と英語のような)の間柄みたいなものになりやすい.たとえば,英語圏の人(作者)が「さようなら,君と会うことは二度とない)」と伝えるつもりで空港で別れ際に I love you forever.と言ったとき,日本語圏の人(読者)がまるで機械翻訳のように「日英変換規則」にしたがって日本語に変換して「僕は永遠にあなたを愛します」と理解して嬉しく感じるというようなものなのである.文化の表象としての言葉で翻訳すると,この言葉の組み合わせは「君のことは決して忘れない」という「別れの言葉」なのである.よって,「読む」という行為は,作者が「作者語」で書いたものを,読者が「読者語」に「機械的に変換」するのではなく「人間的に翻訳」することであると思う.
 それでもなお,現在でも一般的には,読者は作品を分析して「作者の意図を知ること」,つまり,論理的納得・心理的納得をもたらす作者の仕掛けを解明することや感覚的納得をもたらす表現技巧の工夫を詳らかにすることとが「正しく読む」ことと考えられている.その根底には,作品は作者によって創られた「作者のもの」,作者が主人で読者は従者という考えがあるからである.たとえば,ジョージ・スタイナーという世界でも優れた「読者」ですら,『G.スタイナー自伝』(ERRATA--An Examined Life,工藤政司訳・みすず書房) の中で,「読む」ということに関して,「文学の場合で言えば,言語的・歴史的知識が備わり,多義的でたえず変容する言語の性質に理想的な感受性をもち,鋭い直観力を駆使して感情移入のできる優れた読み手でも,彼らはしかし原作に「肉薄した」にすぎない.説明された詩や散文の究極の生命力,時間に逆らうそれらの力,は手つかずのまま残る.どんな解釈もその対象には匹敵しえない.分析と「解剖」や,パラフレーズないし感情描写によるどんな再叙述も原作を置き換えることはできない」(p.29) とその限界を嘆いている.
 しかし,繰り返すが,「読む」という行為は,作者に「肉薄する」かどうかではなく,作者がどのような意図で創ったかなどかかわりなく,読者が「言葉」を自分の「内的資源」に照らして理解するということであり,それは「言葉」に対する読者の自分の「内的資源」で勝手にイメージを組み合わせて感動するということである.言うなれば,「読む」ということは「作品」を素材とした読者の「内的資源」による創造,つまり,読者の「創作」である.したがって,「作品」の存在理由は「作者に何か言わんとすることがあって,それがいかに巧みに表出されているか」にあるのではなく「言葉を手がかりに読者が自分の内的資源で組み合わせると,どれほど心を刺激する作品になるか」によって決まるのである.簡単に言うと,どんな世界の名作も読者が名作と思わなければただの文字列でしかない.読者が「すごい」と感じなければすごくないのである.
 言葉を文化の表象ととらえて言葉の組み合わせを中心にするという読み方は,かなり前からあった.フランスのサント-ブーヴ (Sainte-Beuve, 1804-1869) に始まり,ソルボンヌ大学教授ルグイ(Emile Legouis),カザミアン(Louis Cazamian)などに引き継がれたフランスの伝統的なエクスプリカシオン・ド・テクスト(explication de texte)(精読)である.私は大学院で島田謹二氏から「フランス派英文学研究方法論」として学んだ.(ルグイの記念すべき名著Le Jeunesse de Wordsworth(若き日のワーズワース)は一万円ほど出せば,今でもフランスから取り寄せることが出来る)しかし,言葉と言葉の組み合わせで「作品を創作する」(読む)という「読者主体」の読み方は.20世紀の初め頃からである.
 「作品」を「作者」からの切り離すという考えは,1930年代の主知主義が発展した,いわゆる「新批評」という運動において実践された.「新批評」のバイブルと言われるエンプソン (William Empson) の『曖昧の七つの型』(Seven Types of Ambiguity) が出たのが1930年である.この著作はゲシュタルト心理学を文学的に援用した師リチャーズ (I. A. Richards) の『文学批評の原理』(Principles of Literary Criticism, 1924) の延長線上にあるが,「美は作品に内在するものではなく,聞き手・読者の経験である」(『美学の基礎』(I. A. Richards, C. K. Ogden, J. Wood: The foundations of Aethetics, 1922) という問題意識は,この「新批評」の一派の人々に「作品」を「有機的統一体」と考えさせ,「自己完結的美的世界」ととらえさせた.これは現実と言語の内容との直接的つながりを信じる19世紀的実在論からの離脱であった.つまり,「作品」は作者の主観からも,また読者の主観からも独立した自律的世界ととらえたのである.作品を「有機的統一体」と見なす点ではロマン派の文学観と同じであるが,ロマン派が超越的実在(後の時代で言うと,根源性,集団無意識,原神話,など)と結びつけていたのに対して,新批評では「作品」を宇宙に浮遊する独立したものとしたのである.(参考:米須興文『ミメシスとエクスタシス――文学と批評の原点』(1984) 東京,勁草書房)
 その結果として,凡庸な批評家・研究者による「勝手読み」が流行することになったが,詩心ある優れた新批評家たちは「作品」を作者から切り離しながらも,新批評の欠陥を修復することになる次の時代の読み方―神話原型批評や構造主義的批評―をすでに内包させていて,作品の「個別性」と「普遍性」に同時に迫っていた.すなわち,作品自体の内的構造に作品の決定的要因を求めると同時に,その決定的要因を作者や作品を超えた広い文化的文脈の中に求め,作品を生み出す母胎としての文化の原型(myth 原神話) と作品(派神話)との距離を作品の評価に組み込み,作品を普遍的な構造の変形・異形と見たのである.
 この方向は「神話原型批評」として現れるのであるが,その代表格カナダのフライ (Northrop Frye) は文学を作品固有の条件の中だけでなく,文化現象の一形式として,広い文化的文脈の中でとらえ,ある文化の象徴的表現の中に繰り返し現れるテーマやモチーフの類に関心を寄せた.
 一つの作品は一つの原型を表現する様々な表現の一つなのである.これは,個々の作品の意味の解明よりも作品を構成する言葉の体系,さらに言葉を生成する文化現象の普遍的な構造そのものに確定性を求めて探求する構造主義とより合わさっていく,と同時に,比較神話学の発展とともに神話・民話の研究と重なっていくことになった.つまり,1960年代以降,思考の原点としてのプラトンの「イデア」論,人間の心の原点としてのユング(C. G. Jung) の「原初イメージ」(primordial images) や「集団無意識」(the collective unconscious),また文学の原点としてのフライ (Northrop Frye) の「原神話 (myth)」や 言語の原点としてのノーム・チョムスキー (Noam Chomsky) の「普遍文法」(Universal Grammar) などの学説が,「普遍性」という点で共時的に並び,様々な研究分野が相乗的に統合されていったのである.
 これを「文学」に限定すれば,「作者」による「(無事象も含む)事象」の「模写(mythos)」,すなわち,作者の「書くという自分語への創作的翻訳行為」 は,人間の原初情動・衝動の「普遍的な原型(mythos)」と同化し,「物語原型(原神話)」(myth)+原初的事象展開」となって,「作品」は「作者」から切り離されて「人類共通の文化基盤」から成る共同体の財産となり,「読者」の「読む」という行為は,その共通の基盤,すなわち,「物語原理」(物語原型・原初的事象展開)と「言葉(イメージ)の組み合わせ規則」(文法)の基盤の上で,「自分語への解釈的翻訳行為」となるのである.
 簡単に言うと,読者は「作者は言葉で何を言わんとしているのか」を探求するのではなく,作者と同じ基盤の上で「言葉(文化の表象)を自分語に翻訳すること」(読むこと)で「文学(作品)」を自分のものとすることが可能になるのである.
 私は,こういう,言葉を文化的表象ととらえながら自分語に翻訳することを「勝手読み」としている.その読みで「古池や・・・」を読むと,重要なのは「主題」を「古池」にしたという点であることがわかる.だから芭蕉は「古池」にこだわったのだろうと思う.
 主題「古池」に対して,どのような「イメージ喚起事例(visualizing example)」を積分的に組み合わせると予期しない衝撃的な感情世界が展開できるか.芭蕉が選んだ「イメージ喚起事例」は「蛙飛び込む水のおと」であったのである.なぜか.
 「池」が最初から「古池」であったはずはない.人が出会い,夫婦になり,子供が生まれて家族になり,家が建てられて庭が造られ,池ができた.つまり,「池」には出来たての頃があり,投げられた餌にぱくつく鯉に子供たちの歓声があがる時があった.その子供たちも大きくなって家を離れ,しばらくは老夫婦だけが閑かに暮らしていた.時には孫たちの声で賑やかなこともあったが,やがて,家の持ち主は世を去り,家も朽ち,残るのは「古池」だけとなった.悠久の自然の時間の中で,人の営みの絶えた後の「古池」となった池を楽しんでいるのは,ただ「蛙」だけ.だから,蛙は複数いた方が楽しそうだ.
 「古池」には,時の経過,生命の誕生と終了,家の盛衰,など,物理的な宇宙の時間の中における「人の営みの時間」が象徴的に凝縮されると私は思う.確かにその池は静かであるかもしれないが,私の勝手読みによると,この句のココロ(心)は「静寂・静かさ」ではなく,「自然の時間と対比して人の時間・営みのはかなさ」つまり「もののあわれ」である.「月日は百代の過客にして行きかふ年も又旅人也」を「古池や」と言い換えて,表現者として芭蕉は李白を超えることができ,「古池」という空間を表す言葉に永遠の時間を込め,人の営みの表象として「動き」と「音」(蛙飛び込む水のおと)(イメージ喚起事例)を組み合わせて一点に集中させたのである.その意味で「もののあわれ」を詠んでいる
 
 秋風や藪も畑も不破の関
 夏草や兵どもの夢の跡

も「寂しく哀しい」が,

 古池や蛙飛び込む水のおと

は「もっと深い人間の根源的な哀しさ」と私には感じられる,中阿含経では「永遠の一瞬として生きよ」という.宇宙の果てから見ると私たちの人生は古池という物理的時間の中で蛙のポチャンのように一瞬に生きて消えていく.たぶん,300年にわたって多の人たちが意識することなく心の底でそう感じてきたから,この句は「すごい名句」として忘れがたいのであろうと思われる.出会い,結婚して,やがて男の子が生まれ,その成長を楽しんでいたが,息子は急性白血病で去り,妻は認知症で何もわからなくなり,八十八になった私たちはまもなく消えていく.人の営みは一瞬の夢である.

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