中学生になり母と暮らし始めた。正確には母とハーゲンと姉と4人で暮らし、マンションの2件隣にハーゲンの離婚後引き取った娘(小4)が1人で暮らしていた。当時、ハーゲン娘はうちの母を嫌っていて、とても一緒に住めないとの事だったが、生活とか家族とは無縁の空気。 父の家でそれを知らされた時は部屋でひとり号泣した。 姉がやってきて「お前はアホやな」といった。 その頃母は大阪で毛皮商をしていて居ないことも多く、家政婦さんが居ました。 ハーゲンはマルチで仕事?をしていていわゆるネズミ講
多分、私が小学校に上がる時離婚して父が親権を持ち母が居なくなった。 私の記憶がツギハギなので、時系列でと書き始めて私が混乱。書き直してます。 うちはグリン🍀のケーキ←関西の1部の人しかわからないかも、を仕入れて卸す自営業だった。 月に1度神戸の菓子工場に仕入れに行き、県下の卸先に夫婦で配達していた。 月に1度の仕入れは家族で行きました。 キラキラした神戸の街。 甘い香りの菓子工場 優しい職人さん達 いつもくれるカットしたケーキの端っこ いつもご飯は外国に来たみたいな大き
50歳になった頃から途切れ途切れの記憶が時々、ふと思い出す様になった。 何故か私は小3位まで、記憶が曖昧。やなぁと思って生きてた。 それを50歳になった頃から頭の中で繋ぎ合わせる事が多くなった。 23歳に地元の田舎のアパレル店員になった。運良く48まで働けた。お陰で自分の事などろくに振り返ったり考えたりする暇は無かった。もちろん身体の声も聞いた事は無い。小さいながらもセレクトショップ。半年先の商品の仕入れに奔走し、段々と一番の古株になっていて、会社の方針で1店舗1社員の為、毎