身近なところにある「でもできる」を「だからこそできる」へ。
LAMPの第二期が始まりました。
バングラデシュ・ミャンマー・日本の若者15名が、各国を共に巡りながら学び合う教育プログラム「LAMP」の日本プログラムが始まっています。
Diversity and Inclusion
(ダイバーシティ&インクルージョン)
これが今回のテーマであり、それに沿った講師の方に講義やディスカッションの時間を作っているのですが、前回に引き続き登壇いただいたRさんの話が胸に刺さったので、ぜひご紹介させてください。
いじめられた時期があった「からこそ」
Rさんは中学校の頃、壮絶ないじめにあっています。前回のLAMPでも同様の話を聞きましたが、聞けば聞くほど残酷で聞きながら拳に力がずっと入っていました。「それでも...」と彼女は笑顔でこんな言葉を続けます。
私はいじめられていたから、一人になる時間がいっぱいあった。だからこそ、友達と遊ぶ代わりに一生懸命勉強することができて、作文のコンテストで金賞をもらったこともあありました。あれが中学校で一番楽しかった思い出かもしれませんね(笑)
(笑)と書きましたが、彼女はすごく自然な笑顔で語ってくれ、悲しいはずの過去がそうは聞こえなかったのは、きっと私だけではなかったでしょう。
幼少期を海外で過ごしていたRさんにとって、日本の暮らしは困難ばかり。でも、そんな困難を「だからこそ」と感謝できる彼女の姿勢に強く心を打たれました。
身近なところにある「でもできる」が突破口
彼女の話は続きます。
女性として、また母として、たくさんの困難を超えてきた彼女は、最後にLAMPに参加した女性メンバーにこう語りかけてくれました。
私は女性であることに誇りを持っています。女性だからこそ母の気持ちがわかり、子どもに愛情を届けることができます。例えば、先生という仕事も、女性「でもできる」ものではなく、女性「だからかこそできる」ことがいっぱいあります。国を支える仕事だってそう。ミャンマーやバングラデシュは、実際女性がリーダーになっているわけじゃないですか。女性「だからこそ」できることはいっぱいあります。だからこそ挑戦することを諦めないで。
一つ一つの言葉は、とてもシンプルでしたが、力強く、そして温かく、今回の《Diversity and Inclusion》というテーマのヒントもしっかり詰まっていました。
マイノリティと呼ばれる人たちに共通するのは「でもできる」対象として見られることであり、「だからこそできる」社会を目指すことが、ただ多様で包括的な状態ではなく、その先にある人間がもっと人間らしく輝き、今までの枠を超えていく。そんな社会に近くためのヒントな気がしてなりません。
最後に
今回は、私も主催者ではありますが、参加者たちと一緒に《Diversity and Inclusion》というテーマに本気で向き合います。
誰かが取り残されている今の社会を、今当たり前に生活している人たちにとっても大きなプラスのある社会にするために、いったい私たちに何ができるのか?しっかり考え抜きたいと思います。
良かったら、ぜひご一緒に。
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