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ダイバーシティって実は身近で、思ったよりも小さくて、意外とモノクロかもしれない。

昨日はLAMPを通じて《Inclusion(インクルージョン)》について考えたことを記事にしました。

今日はその続きです。今回のLAMPにおいて、もう一つのキーワードである《Diversity(ダイバーシティ)》について思ったことをまとめようと思います。

こちらについては大きな発見があったわけではなく、どちらかというと納得度が高まり、そのことについて少し詳しく触れたいと思います。

ダイバーシティの罠

突然ですが、《Diversity(ダイバーシティ)》という言葉を聞いてどんなことを連想しますか?

十人十色という言葉があるようにカラフルな色を思い浮かべる人もいるでしょう。百人いれば百通りの、千人いれば千通りの色がある...こう考えると、なんだか壮大な言葉な気もします。だからこそ遠くに感じることだってあるかもしれません。

確かにどれも間違ってはいませんが、こうやって思考を掘り下げていくと、《Diversity(ダイバーシティ)》という言葉がどんどん重く、そして自分から離れていってしまい、ついには自分とは無縁な世界に思えてくることだってあるでしょう。

これが私が最近思う《Diversity(ダイバーシティ)》の罠であり、不思議なことに、ダイバーシティのことを考えれば考えるほど、その言葉の広さや深さに萎縮してしまう人もきっといるのではないでしょうか?

発想を逆転させる

では、そんな《Diversity(ダイバーシティ)》との向き合い方をどうやったら変えられるか、ですが、解決策はシンプル。先ほどの言葉をそのままひっくり返せば良いだけです。

遠くではなく身近で、大きいわけじゃなくて小さくて、カラフルではなくモノクロ。最初は違和感を感じるかもしれませんが、当てはめようとすると意外とスッと理解できると思います。

例えば、障害を持った人や国籍の違う人だけでなく、隣にいる友達にだって自分とは異なる点はいっぱいあります。それはとても小さな違いかもしれませんが、実はその小さな違いに縛られていたり、苦しんでいる人もおり、私たちの日常の中にも《Diversity(ダイバーシティ)》によって生まれる問題はたくさんあるわけです。

にも関わらず問題に目がむきにくいのは、小さな違いをしっかり受け止める心の準備ができていないからです。《Diversity(ダイバーシティ)》がカラフルなものだと思っていると、モノクロでほんの少しの違いしかない色の変化に気づくことができません。

こういった日常の中にある、身近で、小さくて、そしてすぐに違いを見つけられないモノクロのような違いを発見し、受け入れ、そして楽しむことができるか。これこそが《Diversity(ダイバーシティ)》の本質な気がしてなりません。

最後に

いかがでしょうか?今回のLAMPを通じて《Diversity(ダイバーシティ)》と《Inclusion(インクルージョン)》についてじっくり考えてきましたが、自分が思っていない方向に答えがある。そんな気がしてきました。

LAMPも残りわずか。最後まで私も参加者たちとこのテーマについて考え抜きたいと思います。

良かったら、ぜひご一緒に。



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