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やれやれだぜ

ご存知、空条承太郎の名台詞です。

私の働いてる施設の子どもたちは
とても素直で、とても可愛らしいです。

親元を離れて暮らしてますが、
やさぐれるどころか、人思いで良いやつばかりなんです。

生み親と育て親、たくさんの故郷を持つ事になる子どもたちは、素晴らしい縁の持ち主だと思うわけです。

それは、本当に子ども一人ひとりに向き合い、子どもの為ならばと一肌も二肌も脱ぐ大人の存在があって、
自分の事よりも子どもの為に動ける大人に出会えたことは本当に幸せだなと思うからです。

しかしながら、施設職員の立場でありながら、子どもの損得感情に動かされ、自分の保身ばかりを考える大人もいるんです。

育ちの親代わりの職員が、子どもにとって都合の良い大人になってるんです。

その尻拭いは周りの職員です。

その都合の良い関わりによって、どんなに周りの職員が正当な意見を言っても
子どもにとっては都合が悪いので、正しいことをしようとしている大人と子どもの関係性は悪くなる。
間違ったことをしていても、正当化される。人として、最低なことをしていても守られる。

分かりやすくいうと、クロちゃんみたいな職員がいるんです。
(クロちゃんごめんなさい🙏)

なせ、守られるのか?
不思議ですね。
答えは簡単。

施設長の子どもだからです。

だから、正しいことをしている大人が馬鹿を見ることになるんです。
全てが正当化され、全ての問題点を置き換えられる。

周りの職員が不満を出そうものなら、
当てつける対象を決めては、ぶち込んでくる。

いわゆるカスなんです。

普通のブラック企業ならば、働いてる会社の商品やサービスに愛着があったとしても、自分のメンタルがギリギリ持ち堪えるところまでは踏ん張れるかもしれないけど、退職するという選択は、わりとあっさり踏み込めると思います。

しかし、私たちは人と関わる仕事。
辞める、ということは、こんな最低な場所に子どもたちを残すということ。
自分だけ辞めるという事がなかなか出来ませんでした。

色んな理由がありながらも、去っていく職員はもちろん多くいました。
離職率は半端なく高いです。

ほとんどの人が組織の上層部もしくはクロちゃんに対する不満なんです。

しかし、職員が辞めたことも私たちのせいにするのがトップですから。

カスなんですね。

間違いに向き合おうともしない
自分の子どもに叱ることも出来ない実親が施設長なんて笑えません?

いっちょ前に対応に指導してきますから。
報告書とか平気で書かせて、自分たちは本当に問題なことを正当化して、揉み消す。
そういう奴が、報告書に対して点数とか付けてきますからね。

お前の親としての人生0点
むしろマイナス。

こんな所に就職してきたのも何かの縁だと思っていまして、同じ考えを持ってる職員の仲間が出来ました。
中心になっている職員は、施設長より器が広く、経験、知識、人脈ともに施設長を上回っていて、施設長がちっちゃいおっさんに見える程です。

子どもの最善の利益はうちの施設にはありません。
あるのは施設長とその身内の最善の利益のみです。

そんなカス施設ですが、少なくとも私たちが育てた子どもたちは皆最高なんです。

クロちゃんが育てた子どもたちは、申し訳ないですが、卒園して社会人となって園を出て行く姿を見たとき、

約束のネバーランドを思い出してしまいました。

自立に向けて何も教えてもらえず、
進学したいからと勝手に貸付型の奨学金を申し込まれ、新社会人から借金地獄。
奨学金を貸付にするリスクや心配な点を充分に教えられてるなら別ですが。
お金がない→奨学金借りよう!
施設長が許可。もしくは、クロちゃんが勝手に申請→事後報告。
施設長→OK  みたいな。
経済面で面倒を見てくれる家族がいない子どもに対する対応だとは到底思えません。
気に入られないと人としての関わりさえしてもらえず、気に入ってもらえれば欲しいものは、欲しい分だけ与えてもらい、自分の力で何かを得る経験もさせてもらえない。
上手くいかなくなると、他人のせいにすることを教えてもらう。

可哀想に。

それが間違ってると声をあげても正当化される。
施設のトップがそれを正当だと言う。

あるお偉い、児童養護に詳しい専門家は言いました。

施設長が死ぬのを待つしかないですね、と。

どうか生きてるうちに気づいてほしい。

まじで痛い目見ないと分からない説。


やれやれだぜ。

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