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自分を愛するために、自分に条件を提示していないかい?

これが、まだあったのか。
と思った。

こういうのって、本当に自分の奥底まで染みついていて、根深い。
ナチュラルに存在しているから、気付くこともできなかったりする。

ずっと、長らく、自分の内側の整理整頓と断捨離をしてきた。
表層から始めて、どんどん整理されていって、中層に到達してうわーってなって、それでも続けて、まだ残っている。

詳細は書かないけれど、
私の中でこの問題というか、課題は、

これが解決しない限り私はダメだ


と、認識されている。

これが解決しない限り私は前に進めない。
誰かを愛することもできない。
愛される資格もない。

と、認識されている。


私は、私の赦せていない部分がまだあった。
自分を赦す、受け容れるための条件を持ち続けていた。

自分に対して条件を提示し続けていたんだ。

自分を無条件に愛せてなかったのか。
まだ、自分を奥底で責めていたのか。
と、気付いた。

ここで危うく、
自分を無条件に愛せてないのに、誰かに無条件の愛なんて向けられない。
と、自己叱責に進みそうだったけど、踏みとどまれて良かった。


内側の整理整頓や断捨離は、気付いた時点でほぼ完了。
潜在意識に隠れていたものが、
気付いた=顕在意識に上がった時点で、
認識=受け容れることになるから。

人は見える・認識できるようになると、安心する。
体調でも、怪奇現象でも、その原因が分かると安心するでしょう。

とは言え、それを明確に認識できるようになるまで、同じようなことが繰り返されることもあるけれど。
私は今回、明確に認識できる段階に到達した・・・気がする。


なんかね、自分自身にすごいテストされてた気分。
不具合すぎる現実を起こされて、

こんな現実でも、ちゃんと自分のこと愛せるの!?
こんな自分でも、心の底から大丈夫って言えるの!?
それ、本気!?
不足感満載の自分でも、いいよって言える!?
不足感なんて関係無いって言える!?
おい!どうなんだ!
ちゃんと応えろよ!

みたいな。

自分が自分に認められたくて、自分が自分に問題をぶっこんで、自分を試してたんだな、と今は思う。

現実は自作自演。
なんか、何かの引き寄せの情報で、そんな言葉があったな。


これまでの現実は
自分が自分を愛してくれるか確認するために
自分に対してメンヘラしてた


んん。
めちゃくちゃスッキリする言語化ができた。

誰にも愛されなくても、あたしのこと好き?
夢を叶えられなくても、あたしのこと好き?
仕事ができなくなっても、あたしのこと好き?
お金がなくても、あたしのこと好き?
心が病んで死にたくなっても、あたしのこと好き?

と、現実を通して確認されてきた。

私ずっと、その現実に抗ってきた。
どうにかしようと、足掻き続けた。
それは即ち、「好き?」に応えていなかったということ。

それでもいいよ、って言ってあげられてなかった。

ごめんね、私。


全く、世話のやける女だ。
仕方のない女だ。
どんな状態になっても、私と一緒なのは、私だからね。

ちゃんとやり直そうね。
もう一度、ちゃんと、私と私を統合させよう。

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