見出し画像

「今この瞬間」を生きる、具体的な方法。

「いまここ」という言葉がある。
そして、
「いまここ」を生きると人生が良くなると言われていて、それの積み重ねでどんどん良いものが引き寄せられてくるという話がある。
108さんの「今今メソッド」とかね。

知ってる。
知ってるし、やってるけど、何も変わりません。

と、なっていた私。

というのも、やり方が違ってた。

知ってるつもりで、やってるつもりで、正しいつもりだっただけで、全然違っててビックリした笑

違っていたことに気付いて、改めて取り組んでいたら、変わった。

外側(現実面)では、
ギクシャクしてた人と仲良くなれたり、
食べたいなーと思っていたものが翌々日にプレゼントされたり、
苦労なくダイエットやお肌改善できたり、
シンクロが起きたり、いろいろ。

内側(精神面)では、
物事をポジティブに捉えられるようになり、
意識は日々パカパカ啓いているし、
意識とエゴを別物として扱えるようになっている。



じゃあ、何をどう変えたのか、という本題。

今までの私は、何か嫌だと感じた時に「じゃあどうやって変えようかな」という行動を優先した考え方で現実と向き合ってきた。

「これが嫌だから、この嫌なことをしない/別の何かに変える」
という感じ。

不快を減らすこと自体はとても大事で、
私は【不快】が多すぎたから、私の場合は「今この瞬間を生きる」の前に【不快】を減らす作業が必要であり、決して間違ってたわけじゃない。

「やり方が間違っていた」と冒頭で書いたけれど、これは《失敗していた》という意味ではなく、本来の道から反れていたという意味。
別ルートを辿る必要があったから、結果として「あれ、違う道通ってたんだ」と気付いた感じ。


気に入らない現実が起きたときに、【嫌だな】と思うことは当然。
【嫌だな】と思えるのは、『快』を知っているから。

対処する必要があるのは、嫌だなと感じる原因となった「事象」ではなく、今その瞬間に抱いている「嫌だなという感情」だけ。

同じ事象を体験しても、「嫌だ」と思う人もいれば「気にならない」と思う人もいる。
これは完全にその人自身が何をどう捉えて認識するか、によるもの。


で、最初から「対現実」でやっていくのはとても難しい。
現実・事象として起きることは、言ってしまえば応用。
だから、まずは基礎を育む必要がある。

それの一つが【不快を減らす】だけど、
それについてはこちらで。


「今この瞬間」を生きる方法は
とても簡単なんだけど
《五感》を満足させること。

視覚、嗅覚、味覚、聴覚、触覚に「快」を与えること。

私は特に「触覚」に快を与えることが効果的だった。
ダイエットやお肌改善は速効で具現化した。

「触覚」で話を進めていくと、綺麗になりたいなと思ったときに「浮腫み改善から始めよう」と思った。
で、運動は大変だからとりあえずマッサージから始めようと、マッサージを始めた。

で、色々な力加減を試した時に、マッサージという感覚でやるよりも、脚を慈しむような優しくて柔らかい触り方がとても気持良いことに気付いた。

これに気付いてから、浮腫み改善が目的ではなく、ただ気持ちよく、心地良いからやる、みたいな感覚でその日は終えた。
次の日、驚くほど脚がスッキリ。

この体験後、脚だけでなく腰回りとか、お腹周りとかもやってみた。
痩せる!という目的ではなく、心地良いを求めて続けてる。
時には痛気持ちいい力加減でやってみたり、ほわ~と暖かくなるような触り方だったり、『心地よさ重視』のマッサージ。

THE・浮腫み改善マッサージ
だと、結果重視となって義務感が生まれると思うけど、私がやっているのは「自分が心地良くなるためだけのマッサージ」だから、何の苦もない。
面倒臭い日はやらないし。

でも、効果が出てる。
「心地良い」が目的のマッサージによって、「快」を感じる身体に変化している。スカートはサイズダウン。

で、私はこの経験によって、
大事なことは結果や目に見える変化を求めることではなく、
自分をいかに『快』を感じられる状態にするか
なんだな、と分かった。

マッサージなんて自愛と直結する。
自分の身体を大事に愛でる行動だから。

これは私の場合であり、
人によっては視覚、嗅覚、味覚、聴覚で「快の感覚」を得られると思う。

私はマッサージ中の「心地よさ」を感じていると、余計なことを考える余地が全くない。
考えられることは「この力加減はどうかな」「次はこっちをやってみようかな」と心地よさを追求することだけ。

ある意味ゾーンに入っている瞬間だと思う。

このゾーンに入っている感覚が得られ、慣れてくると、「対現実」においてもなんとなく自分の立ち位置や視点を変えられるようになってくる。

というのも、
私は心地よさの感覚を知っている
という自信が付いてくるから。
そして、
心地よさという充電があると、ぽっと出の不快に振り回されにくくなる。

『心地よさの充電』は、
自愛/自己肯定感などに置き換えられる気がする。


ということは、
『今この瞬間』に生きるということは、『自愛』に満ちるということであり、『自己肯定感』が高まるということであり、波動が上がるとか、ポジティブになれるとかに繋がっていくのかな。


あと、私がやっていることとすれば・・・
事象による感情の乱れが起きたとき、必ず身体のどこかに不快感を感じると思うのだけど、その対応をする。

感情が乱れる時ってみぞおちが窮屈になって呼吸が浅くなるから、心地良い呼吸を求めて試行錯誤する。
腹式呼吸がいいのか、胸式呼吸がいいのか。
どこまでお腹、肺を膨らませたら心地いいか・・・。
息の吐き方は、細く長く?一気に?
鼻から吸う?口から吸う?
どうすれば心地良い呼吸になるかな?

心地よさの探求は簡単にゾーンに入れる。
それに集中できる。


ちょっと話がそれるけど、
誘導瞑想の動画って呼吸の誘導もするけど、私はそれがちょっと苦手。
誘導通りの呼吸をしていると苦しくて集中できない。
「呼吸に集中して」は、『自分が心地良くできる呼吸を探して』と変換すると、簡単にゾーンに入れるよ。

オススメ。


何かをして「快」を感じる。
であると、例えば食べる、買うなどの刺激ありきの「快」は徐々に慣れてしまうから求めるレベルがどんどん上がってしまう。
もっと美味しいもの、もっと高級なもの・・・みたいに。

だけど、五感による「快」は飽きが来ない。
ふわふわの毛布の気持ちよさ、日向ぼっこの気持ちよさ、とか何回体験しても気持ちいいって思うように、飽きない。

心地よさの内容は、なんでもいい。
五感が満たされればなんでもいい。

五感という身体の感覚が満たされるときが、一番簡単に「今この瞬間」を感じられるだけだから。


私はこのあと、調理動画で視覚と聴覚を満たす。
野菜を切る音、材料を洗う音、中華鍋を振る音とか好きだから。
嗅覚はお気に入りのハンドクリームの香りで満たしてる。
味覚はコーヒーで満たしてある。
触覚は何で満たそうかなー。



余談。
「心地よい感覚」の私の例を挙げておく。
こんなものでもいいんだ!という参考のために。

ガリガリ、サクサクする食感
ノートに文字を書く時のガシガシ感
掃き掃除の時の音
まぶたを閉じて両目を軽く圧迫
胸式呼吸で肺一杯に空気を吸い込んだときの膨張感?

とかね。

だから私は揚げ物が好きだし、
ノートに文字を書くのも好きだし、
毎朝掃き掃除する。

その感覚が好きだから、飽きない。
結果重視は本当に飽きる。
感覚重視だと続けられる。

結果重視は未来を見てる。
感覚重視は今を見てる。

結果重視は今に不満がある。
感覚重視は今に満足できる。


現実を変えようとするのではなく、
現実を捉える自分の認識を変えるだけ。


こちらの記事が『気付き』としてお役に立てましたら、サポートいただけますと大変嬉しく思います。皆さまからのサポートは、私がより一層「生」を充実させるエネルギーになると共に、皆さまに更なる還元をしていく原動力となります。 サポートは私と皆さまの『エネルギーの循環』です😊