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修学旅行はなかった

千世 (ちせ) 様がお書きになったそれぞれの修学旅行事情を読ませていただいていると、自分がどうであったのか徐々に思い出してきました。

千世様とは同じような年代で、あちらは大阪、こちらは京都ですので、大きな違いはないと思われますが、記録ということで大目に見ていただければありがたいです。


まずは小学校。
京都の公立校は伊勢。
二見ヶ浦の夫婦岩と赤福 (お土産) くらいの印象しかありません。

ただ、本筋からは少し外れますが臨海学校 (学校によっては林間) やスキー教室など泊りでの校外学習やスケート教室のように日帰りの校外学習などもありました。
当時は遊びの行事が多くて喜んだものですが、今となって振り返ってみれば色々経験させようという意図は汲み取れますね。

臨海学校は1泊2日だったと思うのですが、初日の夜に親に宛てたハガキを書きなさいというイベントがありました。
それぞれが書いて先生に預けるのですが、翌日に帰ってみるとハガキより先に本人が帰宅しているという滑稽なエピソードまでついてきます。

中学校は大阪とは少し違うようです。
京都は日光、東京、箱根を2泊3日の駆け足で巡ります。
東照宮、東京タワー、大涌谷、そして新幹線で京都へという感じでしたね。
お土産は草加せんべいに雷おこしだったでしょうか。

問題は高校生の時。
表題にも書きましたが、通常は九州への修学旅行のはずでしたが、前年 (1学年上) の修学旅行が相当弾けたようで出禁になってしまい、我々の年代は修学旅行なしという判断が早々に下されました。

しかし、悪いのは前年の生徒たちで、我々に罪はないということを盾に生徒会を動かし、修学旅行とはいわないまでもそれに準する形ができないか教師たちとの交渉が始まりました。

紆余曲折はありましたが規模も行き先も縮小する形の研修旅行という名のプランが教師側から提示されました。
岡山県の山の中「蒜山高原ひるぜんこうげん
宿泊はたぶん休暇村だったと思うのですが、目の前が牧場で、朝一に牧場の周囲のランニングがありました。
2日目は大山だいせん登山。
自然に親しんだ3日間でした。
50年近く前のことですから当然のことながら周囲には何もありません。
頑張って弾けてみても牛が相手ではねえ。
でも、手を伸ばせば届きそうなほどの星空がとてもキレイで、これが一番強烈なインパクトでした。

修学旅行はなかったけど、自分たちで運動して実現した研修旅行だけに印象強く思い出に残っています。

ここからは内緒話。
朝のランニングは特にタイムが決められているわけではなく、早く走るのものんびり走るのも自由でした。
でも最後の者が走り終えるまで朝食はお預けで、早く走り終えると朝食までの間少しの時間ができます。
その間を利用して、バレーボールやバドミントンなどで遊んだり、のんびり座り込んで疲れを取ったりとそれぞれが勝手に過ごします。

私を含む数人はバドミントンをしようとしていました。
その前に隠し持って冷やしていたビールを飲んでから。

高校生が飲み慣れてるわけもなく、サーブを打っても返ってこないし、サーブを打たれても返せないし、何だかすっごく可笑しいし。
楽しいバドミントンでした。
もう時効かもしれないけれど、内緒ですよ。

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