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錦市場が占拠されました

先日、平日の昼間だったのですが、ちょっと用事があり京の台所と言われる錦市場へ出かけました。
年末以外にめったに通ることはないのですが、今は年末だったっけと思うほどの大混雑。
用事のあるお店は決まっているので、ひたすらそこを目指しますが、度々足止めを食い、ノロノロしか進まない状態が続きます。
しかも聞こえてくるのは英語、韓国語、中国語、スペイン語、イタリア語、ドイツ語、フランス語(後ろ3つは適当です)などなど、多国籍軍に完全に占拠されているようです。
日本語が聞こえてくるのは各お店の売り子さんの呼びかけだけ。
いやいや、そこはせめて英語にすれば、と一人で突っ込んでいましたが、すさまじいばかりの多国籍軍です。

串焼きが大流行りのようで、店前も店中も多国籍軍だらけです。
何が珍しいのでしょう?
海外にはないのでしょうか?
そんなことはないですよね。
バザールやマーケットなどどこの国にもあると思うのですが。

逆に串焼きの店など昔はなかったよなと思いながら、昔ながらの京都人を相手にしているお店は少々気の毒だなと思いました。
今日の台所の雰囲気はすでになく、完全に観光地化している錦市場。
古き良き京都がまた一つ減ってしまいました。

徐々に円安が進行していたり、コロナが静かに広がりつつあるような気もしますが、多国籍軍の方々は精力的に動き回られているようです。
その勢いは当然のことながら神社仏閣にも及ぶのですが、先日、茅の輪くぐりは日本だけの文化なのでご存じないのか、輪っかの前で立ち止まってる多国籍軍を見ました。
余計なお世話かもと思いましたが、意味と方法を教えて差し上げ、実際にめぐって見せてあげると、次から次とその話が伝播していき、次から次と多国籍の方々が茅の輪くぐりをされているのを見て、微笑ましくなりました。

場所やタイミングによって、人は優しくなれたり、素直になれたり、ありがとうと言えたりするのに、何故ずっとは出来ないのでしょうか。

京都人の特性なのか、それとも関西人の特性なのか、はたまた私が知らないだけで日本人の特性なのかは分かりませんが、例えばお店で何かを買ったとします。
お店の方が私に対して「ありがとう」というのは日常的に良くある風景です。
しかし京都の場合、買った側も「ありがとう」とお店にいいます。
「ありがとう」ではなく「おおきに」という言葉が主だったのですが、最近めっきり「おおきに」という言葉を聞かなくなりました。
京都人としては少し寂しい思いです。

京都にある五花街では、京都弁がまだまだ残っているようです(厳密にいうと京都弁ではないようですが…)が、舞妓も芸妓も地方出身者がほとんどですから、作られた京都弁です。
今も頑張ってらっしゃるご年配の「おかあはん(茶屋の女将さんなど)」が引退される頃には、京都弁も廃れていくのかもしれませんね。
三羽 烏

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