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「くだらない」と「つまらない」は、似ているようで全く違う。

 くだらないのが好きだ。酒を飲んで酔っ払って、可愛い女の子との下世話な話をするのが好きだ。オヤジギャグが好きだ。10年ぶりの水風呂で溺れてしまったという友達の話が好きだ。犬のオナラが好きだ。メンソールのタバコを吸って風邪を引いた親友が好きだ。

 つまらないのは嫌いだ。人の悪口が嫌いだ。人の悪口を言う奴のニヤニヤした顔が嫌いだ。塩をかけた飯だけを食らう給料日3日前が嫌いだ。予定の無い日曜も、全然笑えない話を延々聞かされるのも嫌だ。


 「くだらない」と「つまらない」は、似ているようで全く違う。紙一重だけども、紙を隔てた時点で一点も交わらない。全然違うものである。

 「くだらない」には愛がある。訳のわからないジョークを言っている友達の前では、「何それ、くだらねえ」と言いながらも多分笑顔を浮かべている。前日にパチンコで5万円ほど儲けた奴が、今日の22:00になってスッカラカンになった話。何なら貯金をちょっと使っちゃってて。きっと、「くだらねえよ バカかよ」と言いながら晩飯をご馳走する。

 「つまらない」には愛が無い。しつこすぎる宗教の勧誘に愛を注げと言われても、そんなものは到底無理な話である。全然面白くないテレビ番組は、すぐにチャンネルを切り替える。そこには一切の愛も無い。切り捨てるようなものである。

 僕は「くだらない」に囲まれて生きていきたいと思っている。自分の周りにつまんねえものが蔓延っている人生なんて、糞食らえである。くだらない方が良い。綺麗なことを言いたいわけではないが、そこに愛があった方が良い。愛をもって、「くだらない」と思えるような物や人を大切にしたい。

 くだらないのは最高だ。つまらないのは最低だ。いつも最高の人生を生きていきたいと思う。病室のベッドの上、「つまんねえ人生だったな」ではなく、「くだらねえ人生だったな」と言って死ぬ方が、なんだか幸せな気がするのである。まだまだ死ぬつもりも無いんだけど。


頂いたお金で、酒と本を買いに行きます。ありがとうございます。