伝え方ひとつで、世界はもっと美しくなる。

 水曜の昼下がり、たしか14:00。取材を一本終え、空きっ腹に我慢ならず飯屋を探した。街は学生だらけ、ガヤガヤと賑わい活気が良い。20歩に1軒のペースで、古びた定食屋が見える。良い街。

 飯屋も居酒屋も、なるべく古いのが好きだ。じいさんが競馬新聞を広げて、爪楊枝を歯に挟み、耳に引っ掻けた赤鉛筆をパッと手に取り新聞へ印をつける。店の天井角には、画面をジリジリ鳴らすきったねえテレビ。もちろん競馬を映している。それに一瞥もくれず、大した旨くもない唐揚げを黙々噛みながら、水っぽいべたべたの白米を口に運ぶ……。

 今日もこんなのをしようかしらと思っていたところに、1つ、『スープストックトーキョー』が目に入ってきた。上記の雰囲気とはまったく違う、いわば「ていねいな店」である。

 店内を覗く。綺麗に切り揃えられたボブのお姉さんが、美味しそうにカレーを食べていた。きっと夏には、さらっとしたリネンのシャツなんかを着るんだろうな。

 取材帰りというのもあり、そこそこ綺麗な格好をしていたので、これなら僕みたいな意地も見た目もきったない奴でも大丈夫だろうと思い店内へ入った。カレーを食べよう。ドアが開く。店員さんが僕に気づき、笑顔を向け、口を開いた。

いらっしゃいませ、ご来店ありがとうございます!

 愕然とした。思わず「えっ いや、すげえ」と下を向き独り言を言ってしまった。『いらっしゃいませ』だけならまだしも、『ご来店ありがとうございます!』まで言えるのか、と心の底から感心した。

 レジ前に立つ。店員さんはずっと笑顔であった。僕はなんだか、自分のみすぼらしさやくだらなさを少し後悔してしまった。さながら告解、懺悔のようだ。美しい店員さんの輝く目を、酒のせいで淀んだ灰色っぽい目なんかで見てしまってはいけないと思った。目を見ず軽く会釈し、そのまま、同じ方角にあったメニューに目をやる。じっと見る。『すみません、お客様』と店員さんの声。ハッとする。続いて彼女が言った。

本日は、こちらでお過ごしですか?

 いや、えー!!!!! なになに??!?『お過ごし』???! いや、その辺のカスゴミみたいな僕に、『お過ごし』!!?!?!?!!? 何これ!!!??!!!!!??!

 びっくりした。驚いた。たまらず「ふぁい」と言った。yesの意味であった。「ここで過ごさせて頂きます」の意味であった。それはギリギリ通じたようで、『では、こちらからどうぞっ!』と言われる。『っ』が付いていた。物凄く良いなと思った。もう、「良い」としか思えなくなってしまい、メニューを指差し「このカレーが良いです」と言ってしまった。ちゃんと、そのカレーが出てきた。ちゃんと美味しかった。

 伝え方ひとつで、世界はもっと美しくなる。

 言ってしまえば、先の店員さんの『いらっしゃいませ、ご来店ありがとうございます』なんて、たった「いらっしゃいませ」の一言で良いのである。お客さんが来る、挨拶する、メニューを見てもらって店内か持ち帰りかを確認する、注文を聞く、確認、会計を貰う。淡々と6行程をこなせば、すべてが成立するのである。

 そこに、ひとつ工夫した伝え方をプラスする。「店内でお召し上がりですか?」ではなく、『店内で "お過ごし" ですか?』と声をかける。そうすることで、お客さんは(あっ、ゆっくりして良いんだ)と安心できる。『お過ごし』という言葉を投げかけられるだけで、なんだかちょっと良い気分になってしまう。

 これこそが+αの価値であり、世界をもっと美しく、彩りあふれるものにするための材料なのだと思う。言葉を少し変えるだけで、目の前の人、ここで言う "お客さん" の世界はパーッと明るくなるのだ。

 これは、「店員/客」に限る話ではない。対 友達、対 両親、対 先生、何でも良い。ちょっとだけ頭をひねり、目の前の人間に少しでも良い気持ちになってもらおうとすること。これはつまるところ愛である。

 カレーをすべて食べ終わり、スプーンを置く。うまかった。バターの香りが鼻を優しく通って、ほどよい酸味が云々。そんなのは覚えていない。もう、「うまかった」と「気分が良かった」しか無い。木製のトレーを持ち上げ、店員さんにお渡しした。『お気遣いありがとうございます』と彼女が言う。とても充実した優しい気持ちで、今度はちゃんと目を見て、「カレー、うまかったです ご馳走さまでした」と言えた。美しい世界です。

頂いたお金で、酒と本を買いに行きます。ありがとうございます。