見出し画像

できるかぎり、俺は歩いて帰りたい。

『三浦さんの趣味って何なんですか』と聞かれてオドオドした。趣味。趣味。

小説は大した読んでいないし、映画もそんなに多くは観ていない。オシャレなカフェに行くくらいなら、だらしない居酒屋に行きたい。かといって、だらしない居酒屋に行くことが「趣味」か、と言われれば、それはそれでちょっと違う気がする。

スケートボードは板が真っ二つに折れたのを機にやめた。とっさに「服が好きです」と答えようと思ったが、着るのが好きなのか集めるのが好きなのかについて言葉を続けられないから言えなかった。たぶん、趣味じゃない。

うーんと考えに考え、「散歩ですかねえ」と言った。俺はいつもこうだ。あんなのは全部デタラメだ。

多分1番のやつだろう。『専門としてではなく、楽しみとして愛好する事柄』とある。楽しみ。僕の楽しみは何だ。「土曜日が趣味です」とは言えない。例文に『趣味は土曜日だ』とは書けない。頭が狂った奴だと思われてしまう。そもそも『土曜日の専門』なんていないよな。でも、専門じゃないものをバラバラ挙げたところでキリが無い。朝になっちゃう。


「散歩ですかねえ」とテキトーに答えた後の、彼女の苦笑いと長くて苦しい沈黙。渋谷発の急行電車が、やっと明大前駅に着いてくれた。

彼女は笹塚に住んでいた。僕は下高井戸。電光掲示板に、「特急 新宿行き」の文字が光ってる。彼女は、僕と逆のホームに行かなくちゃいけない。から元気で「じゃあ、また!」と言ってから、彼女が階段の1段目に足をかけるまで見ていた。手を振った。ニコニコ振り返された。可愛かった。

なんだか急に酒を飲みたくなって、駅前のコンビニに行くために改札を出た。500mlの発泡酒を買い、タバコに火をつけて、彼女からの連絡に「楽しかったです また」と返して、灰皿の隣で安酒を飲んだ。うめえ。うーめえ。どうしようもなくうめえ。昔、お父さんが『仕事終わりに飲む酒が一番うめえんだ!』と言っていたのが理解できる。反抗期の僕は(何言ってんだこいつ アホか)としか思っていなかったけど、今となっては大いに頷ける。その通りだ。一番うめえんだ。

ほんのり酔っ払った体で、線路沿いの道、明大前から下高井戸駅までつながる1本を歩く。定期券には「中目黒−下高井戸」とあり、電車に乗れば4,5分で家に着くのだけど、僕はいつもこの線路沿いを歩いて帰る。歩けば正味、10分くらいのもので、その間は仕事のことを考えたり、気になる女の子に連絡してみたり、別にロマンチストではないけど、街並みや星を見たりもする。僕はこの時間が好きだ。


(趣味って、これなんじゃないか…?)と、歩きながら思った。頭に思いついたのをテキトーに発したつもりだった「散歩ですかねえ」は、あながち嘘じゃないんじゃねえかと思った。

『専門ではなく、楽しみとして愛好する事柄』が「趣味」の意だったはずだ。たしか俺は、「歩いて帰る専門家」じゃない。そんなのは多分いないよ。

『楽しみとして愛好する事柄』。存分にこれっぽい。僕は、歩いて帰る専門家ではないが、「楽しみ」として愛好している。明大前駅から歩いて帰るのは、きっと俺の「趣味」だ。


さっき別れた女の子に、LINEを送る。「僕、明大前から歩いて帰るのが趣味かもしれないです」と。今こうして文字として打って、たまらず笑っちゃった。


ここまではすべて、3日前の出来事だ。例の彼女からは、一切の連絡も来なくなった。そりゃそうだ。当たり前だ。遊ぶくらいの興味はある男の子から、急に「歩いて帰るのが趣味です!」なんて言われたら、そりゃあ。訳わかんねえもん。その前は「土曜日が趣味です!」って言おうとしてたんだから。

こういう、クソみたいにくだらないことを考えていられる時間が、明大前から下高井戸までの10分間なのである。タバコを吸って、うっすい酒を飲んで、昔好きだった女の子に「結婚しようよ」と言ったり、(俺の趣味は、歩いて帰ることだ!!)と気づいたりもする。バカみたいで、すごく楽しい。だから、できるかぎりで良いから、俺は歩いて帰りたいのだ。

頂いたお金で、酒と本を買いに行きます。ありがとうございます。