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『のぞむ君って、生意気だよね』

 「もう疲れたから、酒はあんまり飲まないことにする」と意気込み格好付けた挙げ句、その4日後にはもう、居酒屋の椅子に座っている。この日は、かねてより仲良くしてくれている友達と酒を飲んだ。忘れられないお話があったので、ここに残して成仏させようと思う。その場では「いやー、なんだろうねえ」とニヤニヤはぐらかした。

のぞむ君って、生意気だよね Twitterとかnoteとかの文章を読んでると、本当にそう思う 文章を書くことはきっと得意で好きなんだろうと思うんだけど、なんであんなに生意気な感じ出すの?

 思ったことは、思ったように書こうと思っている。よく『思ってることはあるけど、言語化するのが難しい』という話を聞くが、まったく理解できない。そのまま言葉にしたら良い。『ムカつく 鬼のようにムカつく』で良い。何をそんなに格好つけなきゃいけないのか。無理をして、世間で言うところの "良い文章" なんか書かなくて良い。『ムカつく~~』で良いはずだ。むしろその方が生っぽくて良い。

 僕が生意気に映る理由。ちょっと理解する。この上の段落なんかは、まさにそうである。「そのまま言葉にしたら良い。」なんかが、まったくのそれである。調子に乗っていそうだ。生意気そうだ。『お前は文章表現に関する何なんだ』という声が聞こえてもおかしくない。僕に文章表現を語る資格は無い。ただ、それと同じく、他の人間にも無い。売れっ子の小説家にも、お偉い言語学者にも、センター模試にて毎度、国語で200点を取れる浪人生にも無い。


 生意気にやっていれば、きっと誰かがツッコミを入れてくれるから、そうするんである。僕よりも数段知識があって、経験もあって、日々文章について考えている人間が、『いや、それは違うでしょうよ』と言ってくれるからである。

 ツッコミ待ちのボケほどあざといものは無いが、ほんの少しその気がある。もしかすれば、僕の生意気な態度を見て、内に籠もり(いやぁ、これは無いでしょ……)と思っている方がいるかもしれないが、そこにおいて「沈黙は金」は一切通用しない。何も言わないなら僕が僕の正義。言わなきゃわからない。批判も中傷も、内側で溜めておく分には何も言っていないのと同じだ。勝手にしてくれ。


 生意気に見られても、思ったままの文章を書くこと。それによって、自信をどんどん付けていくこと。厳しいツッコミを入れられた時には、少し傷つき反省し、それをリカバリーすることで自信を屈強にすること。これらは、ずっと大切にしていきたい。素直に書いて、素直に聞いて、いつもずっと自分の文章を最高だと思っていたい。鍋の中のカエルは火にかけた水の温度が上がるのに気づかず、気づいた頃には茹で上がって死んでしまうという。それならそれで別に良いのだ。俺、カエルじゃないし。元も子もないけど。

頂いたお金で、酒と本を買いに行きます。ありがとうございます。