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幼いわが子を亡くしたママの話

もう20年近く前の話になる。
今でいう「グリーフケアができる人」として、少しは知ってもらえるようになってきた頃のこと。

幼い女の子が亡くなった。そのママを紹介された。生まれた時から大きな病があり、数年の命と覚悟はしていたという。短い時間だったがママは女の子と精一杯生きた。

「○○ちゃんのお家を作ってあげたい」

ママはそう言った。ぼくは、ママを連れて仏壇屋さんに行った。昔ながらの金仏壇や唐木が並ぶなか、当時流行りだした「モダン仏壇」を選んだ。

お仏壇は仏様をご安置する場所。お坊さんの常識である。しかし、ママには、幼くして命を終えたわが子の「新しいお家」となる。

グリーフケアを実践するために僧侶へ


のちにぼくが得度(僧侶として名乗りをあげる儀式)を受けたのは、こんな経験が積み重なったからである。

なんでもありのムチャクチャな仏事をするのではない。教えに沿ってシッカリと仏事を勤めることと、嘆き悲しむ人に寄り添うことを同時にするためである。

僧侶になった今、同じような場面がでてくる。幼い女の子が短い生涯を終え、そのご遺骨が安置されている"箱"に向かい勤行をする。ご本尊はないが、「南無阿弥陀佛」を称える。そこに阿弥陀様がいないわけではない。ぼくはそう思う。

20年近く前、仏壇屋さんに一緒に行くことしかできなかった。今は、衣に袈裟姿で勤行(読経)ができる。

ぼくの実践する「グリーフケア」である。

合掌

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