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刑事司法と仏教

明治41年に制定された「監獄法」は一度も改正されることなく平成の時代まで続いた。平成になっても明治時代にできた法律で刑務所が運用されていたのである。

平成14年あたりに(21世紀になってやっと)受刑者の処遇が問題化し、平成18年に「受刑者処遇法」が施行され「監獄法」が廃止へと向かう。そして、「司法と福祉の橋渡し」という必要性が生まれ、平成21年から「地域生活定着支援事業(現・地域生活定着促進事業)」が厚労省の管轄として始まった。



法律や制度が変化しても「人の心に染みついた規範」というのはなかなか変わらない。それが人間の相(すがた)である。「人の心に染みついた規範」を打ち破り新しい世界観へと「生まれ変わる」のが仏教ではないかと僕は考える。

「なぜこの世に生まれたのか?」と問われれば「佛になるため」と答えるのが仏教徒ではないのだろうか?
 
「この身今生において度せずんば、さらにいずれの生においてかこの身を度せん(人間に生まれたこのチャンスを逃したら、もう救われることはないだろう)」(三帰依文・意訳は筆者)

筆者は、悪人として生まれてくる人間などいないと固く信ずる。縁が重なり犯罪へと至るのである。犯罪へとつながる縁を断ち切り、犯罪をしなくてもよい生活へとサポートするために「地域生活定着支援事業」に参加する。
仏教僧侶は「死者の供養」だけが仕事なんだろうか? 

仏教を「国の制度」に利用されてはいけない。「この身今生において度せずんば・・・・・・」を伝える(布教・伝道)ために「国の制度」を利用するのである。

公務員にはできない。国家資格をもって業務にあたる人も難しいだろう。
僧侶はその「身分」を明らかにして、堂々と「布教・伝道」すればよろしい。それが僕の提唱する「福祉仏教」である。

合掌



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