大阪インディーズライブ時代

昨晩、ロケで大阪泊まりだったので、元芸人の後輩達と先輩と鶴橋で飲みました。
昔の事を色々と思い出して懐かしかったですよ。
お笑いの事以外はほぼ何にも考えてなかった様な時期です。

私は吉本の劇場オーディションに初めて合格するまで6年かかりました。
それ迄はずっとワッハ上方7Fレッスンルームという仮設舞台の小劇場で毎月「なか男」というインディーズライブに出演していました。
このライブに出てた芸人は、皆、ピュアというか真面目で、凄く真摯にお笑いに取り組んでおりました。

飲み会をしても、ずっとお笑いの話やネタの話でした。しょっちゅう誰かの家に集まり、徹夜で大喜利したりもしました。

こういう環境で下積みさせてもらった事が自分の土台になっています。

ライブも先輩達が後輩達のネタを会場の後ろまで回って見てくれて、打ち上げでダメ出ししてくれるんですよね。

そういう温かみがある場所だったから、6年間オーディションに落ち続けても、続ける事が出来たのかもしれません。

そのライブではピンネタでコントやフリップネタをやっていたのですが、主催者の先輩から「お前はトークが面白いんだから漫談をやれ」と助言されました。
喋り一本でやるのは難しく、最初はウケも弱かったんですが、その先輩は後ろで見て笑ってくれて「面白いから絶対に続けろ」とずっと励ましてくれました。

私も後にインディーズを主催するのですが、自分がしてもらった事を後輩にしてあげる様に心掛けました。

苦しんでる後輩や、まだ笑いの形が出来上がってない芸人には自信をつけさせる為に、良いところを探して褒める様にしました。

自信がある芸人とそうでない芸人のパフォーマンスには雲泥の差がありますから。

先輩としての所作も、そのライブに出てた方達から教わったんだなと、つくづく思います。

その先輩方も、現在は皆、廃業しております。

本当にこの世界で飯を食っていくのは厳しい事です。

これは、昨日飲んだ後輩が言っていたのですが、「アインシュタインの稲田君が前のコンビ時代にコーナーで一緒になった事があります。
稲田君が笑いを全部かっさらっていって、こんな化け物がいるなら、この世界で生きていくのは無理だと思いました」と。

こういう残酷な瞬間がありますね。人生には。

でも、昨日会った元芸人は、就職したり、事業を起こして成功したり、立派にやってました。

30や40で芸人を辞めて、社会に出るて相当な気合いがいると思います。

私も負けてられないなと、刺激をもらいました。


最後にもう一つエピソードを。

25歳位の頃、その主催者の先輩とチケットの手売りをしていました。私は当時、喫煙者で路上喫煙をして、タバコをポイ捨てしました。
その瞬間「何してんねん」とツッコミ風に頭をはたかれました。
「こういう事は、絶対にするな。」と怒られました。

お笑い以外の事もたくさん教えてもらったんだなと思います。

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