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親子で挑戦 深まる絆

2017年1月21日日経新聞夕刊に掲載されたものです。

 昨年末、風間深志さん、そして息子さんの風間晋之介さんが僕たちの低酸素室にトレーニングに来た。深志さんは1982年に日本人で初めて世界一過酷なモーター競技とも呼ばれる、ダカール・ラリーに参戦、クラス別6位に入賞している。さらに深志さんは南極最高峰ビンソンマッシフ登頂、バイクでのヒマラヤ最高地点到達など数々の冒険をしており、冒険家として三浦雄一郎と30年以上もの交流がある。

 今回、風間親子が低酸素室に来たのは今年1月のダカール・ラリーに参戦するためだった。ダカール・ラリーは伝統的にはパリからスタートしスペインのバルセロナからアフリカ大陸に渡り、セネガルの首都ダカールまでのレースであった。しかしアフリカ近隣諸国の治安の悪化、政治不安、そして近隣住民とのトラブルなどにより2009年からダカール・ラリーの冠をそのままに南米に競技場所を移した。
 今年のルートはパラグアイの首都、アシンシオスからスタート、アルゼンチン、ボリビアの3カ国をまたぐ。途中アンデス山脈を超えるセクションがある。平均標高3000㍍、時には標高5000㍍まで上がる高所ステージが6日間も続くのだ。低酸素トレーニングは高所の低酸素下にあって集中力と体力維持が強いられるバイクの操作を見越してのものだ。
 今回のレースでは、これまで現役で活躍していた深志さんは総監督としてライダーである息子の晋之介さんをサポートする。低酸素室では深志さんは「めったに一緒に走ることはなかったが、今回は一緒に同じゴールを見ることができる」と話していた。

 1月14日、晋之介さんは見事、ゴールであるブエノスアイレスまで完走した。この時、深志さんは自身の気持ちを交流サイト(SNS)に発信した。
 「総合順位において本人はいささか不本意である」と。しかしながら「ダカール・ラリーは、大変に過酷な自然条件化における超のつくほど長丁場での戦いでありました。速く走っても、遅く走っても一律の苦闘と試練に変わりはなく、故に、走りきった者に与えられる栄誉は同じなのであります。」と完走した晋之介さんと一緒に戦ったチームに感謝の言葉を述べた。変化が目まぐるしい現代では世代の違う親子間で共通の会話を見いだすことすら難しい。しかし挑戦が過酷であるほど2人は深い部分で価値観を共有できる。2人の姿が父、雄一郎と僕に重なる。

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