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「ときめき」若さ保つ

2011年9月17日日経新聞夕刊に掲載されたものです。

 三浦雄一郎(78)のトレーニングといえば、重いザックにアンクルウエートの姿を思い浮かべるが、最近の父は自転車にはまっている。「歩くと行く場所が限られるが、自電車だとすいすいどこへでも行ける」と、朝早くから自転車とともに姿を消す。

 東京にいるときは事務所がある代々木からスタートする。最初のころは赤坂、築地、浅草などの東京近辺だったが、そのうち多摩川の上流探索や八王子、高尾山にまで足を延ばし、さらにはその高尾山をはじめとした地元の山に登る。往復100㌔の行程だ。
 最近さらに遠乗りがエスカレートしてきた。先日、札幌にいる母から夜の10時ころ、心配そうな声で電話がかかってきた。朝早く自転車で出て行ったきり、父が帰ってこないというのだ。僕も心配になって何度も携帯電話にかけてみる。やっとつながったとき、父が言ったのは「朝、札幌を出たのだが、追い風に乗って気持ちいいものだからついつい深川まで行ってしまった、帰りは向かい風で大変だ」。悪びれるようすも無く話していた。
 深川は旭川のすぐ近くで、距離にして往復300㌔もある。結局、帰ってきたのが深夜0時近く、これには母も僕もあきれてしまった。

 順天堂大学、加齢制御医学の白澤卓二教授は「ときめき脳」という理論を提唱している。それは子供のころに遊んだこと、楽しかったことが「ときめき」の回路として脳内に残り、同じ刺激を受けると童心に戻る。それによってやる気や好奇心がくすぐられ、脳内が活性化され、心身を若返らせるという。
 父は子供のころからずっとその「ときめき」を持ち続けている。青森で育った父は幼稚園通いを拒否して、夏は自然の中を駆け巡り、カニ、どじょう、フナと格闘していた。冬は手製のそりで屋根から滑り降り、そのうちスキーに履き替え、のちに世界の一番高い屋根(エベレスト)から滑り降りた。

 父にとって自転車は、今や魔法の足となった。自転車は歩くよりもはるかに効率よく自分の力で、速く、遠くに連れて行ってくれる。自動車の煩わしい渋滞や駐車を気にしなくてもいい。もちろんトレーニングの一環ではあるが、それ以上に父の冒険心をくすぐり、ときめきを刺激する。ゆっくり気ままに自転車に乗る姿を見ていると、子供の頃の遊ぶ父の姿が想像できるようだ。

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