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ハンディを超え挑戦

20166月4日日経新聞夕刊に掲載されたものです。

 5月24日、田村聡さんはろう者(聴覚障害者)として初めてエベレストの山頂に立った。登山で聴覚に障害を持つということは多くの危険をはらむ。落石や雪崩の音、第三者から発せられた注意喚起の声が届かないため事故につながりやすい。また遭難した時、捜索者に気がつきにくく、さらに声をあげることができず発見の機会も低くなってしまう。
 田村氏は出発前、僕たちの低酸素室でトレーニングを行っていたこともあり筆談することができた。彼は聴覚障害により僕が懸念していたのと同様のアドバイスを過去にも多くいわれてきたという。しかし、山への憧れをとめることができなかった。ヨーロッパオートルート、日本百名山、モンブラン、アイランドピーク、そして2007年には8000㍍峰の一つチョオユー登頂に成功、今回のエベレスト登頂につながった。彼の飽くなき挑戦はろう者だけでなくあらゆる人々の可能性の扉を開いた。

 4月に行った父とのネパール・ナムチェバザール訓練合宿で定宿にしていたのがシュリカンバホテル。ナムチェバザールの上部にあり、ヒマラヤの名峰が見渡せる日当たりのいいホテルだ。
 このホテルのオーナー、ラクパ・ソナムさんは聴覚障害者だが、著名な山岳写真家、文化人で、カトマンズで手にするヒマラヤ山脈のハガキのほとんどは彼が撮った写真だ。
 ハガキ以外にもクンブ地方の山々が見渡せる数々のパノラマ写真やパルチョモからのエベレストの夕景がある。その写真を撮るための場所も時間帯も厳しい。こうした構図を狙って撮れるのは自身が優れたクライマーであることによる。ドイツ、米国、インド、オーストラリアのエベレスト隊に同行し、アマダブラムの西壁初登頂、パルチャモ、ロブチェに登っている。
 現在、彼のライフワークはシェルパの山岳史と文化を伝えること。1990年にシェルパ文化博物館をホテル横に設立。現在その拡張計画に奔走している。

 彼のモットーは「もし夢と強い思いがあるのなら経済的、肉体的なハンディキャップは成功への足かせにはならない」と話してくれた。
 田村氏やソナム・シェルパに共通して印象的だったのは彼らが相対する挑戦を生き生きと話してくれたことだ。そこには彼ら自身の障害はみじんもなく、その先にある夢の大きさだけが広がっていた。

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