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エベレストに登る医師

2018年6月9日日経新聞夕刊に掲載されたものです。

 5月17日、日本人初の国際山岳医である大城和恵先生がエベレストに登頂した。大城先生は僕の父親である三浦雄一郎の遠征にこれまで何度も同行し、遠征隊のメンバーたちの健康管理に気を配ってくださった。父が80歳でエベレストに登頂したときは、不整脈持ちの父のためにキャンプ2(標高6400㍍)まで一緒にのぼり、下山も一緒だった。

 北海道大野記念病院に勤めながら北海道と富山県、そして全国の警察山岳遭難救助アドバイザー医師として活躍し、登山関連のマニュアルづくりや遭難防止対策を手がけている。8000㍍峰のマナスルや欧州各地の名峰を難ルートから登頂してきた先生が、このたび、ついに世界一の山頂に立ったわけである。
 さっそくお祝いの電話をかけると「三浦雄一郎先生のおかげ」とおっしゃる。いつまでも挑戦を続ける父の姿に刺激され、今回の挑戦に至ったというのだ。

 登山家エドモンド・ヒラリーがシェルパのテンジン・ノルゲイとともに人類初のエベレスト登頂に成功したのは1953年。当時の列強にとって、エベレスト登山は国家の威信にかかわる大きな感心事であった。それから大勢の登山家がこの山に挑み、情報は増え、道具も技術も進歩した。当時からすると頂上はぐんと近づいたといえる。それでも事故は起こる。
 先生は医師としてエベレストに登ったそうだ。「究極の山に挑みながら健康体であり続け、肉体の一部や認知機能の欠乏を伴うことなく、その後も社会的に活躍できる状態で山から戻る」という挑戦であった。その過程で、先生はベーシックな登山の経験と技術の大切さをあらためて感じたという。これほど優秀なガイドがいても、山では最低限のことは自分でしなければいけない。にもかかわらず、経験不足の人ほどリスクを低く見積もりがちなのは危険なことだ、とも。

 先生はまた、大気の希薄な山での酸素ボンベの消費のやり方にも感じるところがあったという。行動しているときにとどまらず、睡眠中の酸素消費による回復も大事だと。特に山頂付近ではボンベが頼みとなるため、機器の扱いを熟知し、機器が破損した場合の対処も考えておかないと命にかかわる。
 こうして得た知見と経験を大城先生がひろく世に発信すれば、エベレストはもう少しだけ、僕たちにとって近しいものになるかもしれない。

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