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飢餓なき世界をめざして

2018年10月20日日経新聞夕刊に掲載されたものです。

 国連WFPという組織をご存知だろうか。WFPとはワールド・フード・プログラム(世界食糧計画)の略で、飢餓のない世界をめざす国連の支援機関である。このWFPの顧問についている僕は、先日、都内で授賞式を行った「WFPチャリティー エッセイコンテスト」で特別審査員を務めた。

 このコンテストは6年前から毎年行われていて、応募1作品につき、発展途上国の子供一人の給食4日分(120円)が協力企業から国連WFPに寄付される。「おなか空いた、なに食べよ!」とテーマを掲げた今年は過去最多となる1万9291通もの応募があった。おかげで、貧困によって慢性的な栄養不足に苦しむ子供たちに7万7164人分の給食を届けることができるわけである。
 支援の対象になるような貧困層の地域では、子供たちの多くは働き手とみなされる。しかし学校で給食が食べられるのであれば、登校させることを選ぶ親もいるだろう。そうやって教育を受けた子供たちは将来に夢を抱き、それが国や社会の発展にもつながる。

 コンテストには最優秀賞に当たるWFP賞のほか、応募者の年代別に各賞が設けられている。受賞作品はそれぞれに、僕の心を揺さぶるものだった。自身の空腹体験を通じて人とのつながりを語ったもの、遠くの国々で起きている飢餓問題を論じたもの、亡くなった人との思い出をつづったものなどがあり、とりわけWFP賞に選ばれた野田有沙さんの「食べられない、飲めないつらさだけでなく、それが終わらないつらさ」という一文は印象的だった。

 空腹といえば、僕にも忘れられない思い出がある。16年前、父の三浦雄一郎とその友人6人と一緒に挑んだチョオユー登山。これに先立ち、高度順化とトレーニングをかねてネパールのパルチャモに登った時のことである。短期間集中の登山で、乾燥食品中心のメニューを惜しみ惜しみ食べながら数日かけて登った。厳しい山行に耐えられたのは、その後に真空パックのウナギを食べるという申し合わせがあったからだ。
 全員無事に山を下り、待ちに待った食事会。だが肝心のウナギが腐っていた。酸味のあるウナギを口にした瞬間、辛抱の糸がぷつりと切れた。それまでの苦行のあれこれが思い出され、みなの怒りの矛先は食料担当者に向けられた「食い物の恨み」という言葉をあれほど実感したことはなかった。

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