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8500メートルでお茶会
2015年4月25日日経新聞夕刊に掲載されたものです。
これは僕がエベレスト登頂前日の2013年5月22日に書いた「豪太日記」の抜粋である。
「明日は夜中の出発になる。そのため早めに用意を始め就寝しなければならない。最終キャンプであるC5(標高8500㍍)の献立にはC4(7980㍍)と同じく手巻きずし!これならどこに行っても口に入る。礼文島のウニの缶詰、カニ味噌、塩辛、さらに山わさびがメニューに加わる。みんな盛り上がり、やんや言いながら、それぞれの手巻きずしミックスを考案して食べている。いつの間にか外の風も弱まっていた」
「そこでC4から無駄を承知で上げてきたお茶セットをまた出す。再びあの静寂とした雰囲気が作られる。とても不思議なのだ。テントの外に出たら回りは切り立った尾根。中国側に2000㍍から3000㍍落ち込んで、手前のネパール側にも1000㍍以上は落ち込んでいる。外にはエベレストを登って生き残ろうとする亡霊のような登山家がいる中、僕たちのテントの中は静寂に包まれ、お互いお茶をたて合う」
「お茶を飲むと安堵感とみんなの笑みが見える。もっとも無駄と思えることが、もっとも必要なことになるとは思っても見なかった。夕方、日が落ち、やっと周りの風景が見え始めた。世界最高所のお茶会の記録は既に作った。あとは父を最高年齢でエベレストの山頂に立たせるだけだ」以上
この時行ったお茶会を父や僕の日記を基に都千家(みやこせんけ)茶道教授、小笠原聖誉先生に協力してもらい、お茶会記をつくり、それをギネスに申請することにした。
お茶会記にはお茶会を開いた日時、場所、そして茶道具を記録するものである。今回のお茶会記の特殊なところはエベレスト、C5でやったということだ。通称バルコニーと呼ばれる南西稜の尾根に6人用テントを立て、みんなでお茶を囲んだ。三浦雄一郎をテント奥に配置して、正客に僕、次客に倉岡裕之、そしてテント出口近くのお詰めを平出和也として記録する。そして事前に食べた手巻きずしを食事として記録し、お茶の道具とその時の手順を記した。
小笠原氏は「ギネスそのものよりも茶人として価値を感じるのはエベレスト8500㍍の雪を溶かしお湯を沸かしてお茶を作った所ですね」と話した。今考えると、なんて贅沢な時間を過ごしたのだろうと思っている。
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