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「泳ぐのは僕」こそ真髄

2012年4月14日日経新聞夕刊に掲載されたものです。

 先週行われた日本選手権の平泳ぎ100㍍で自らの日本記録を上回り、3日後には200㍍でも優勝、両種目ともハードルの高い五輪派遣の基準タイムを軽々とクリアし、初の4大会連続の五輪代表という快挙を成し遂げた。

 北京五輪後、充電期間に入り、引退も噂されたが、北島流の休養期間であった。復帰レースに出たあとの2009年11月に北島選手をこのコラムで取り上げたことがある。その時「今復帰しないとロンドン五輪に間に合わないと体が言ってきた」と言う言葉に驚いた。まるで今日に至る過程を体が全て読んでいたかのようだ。もうひとつ興味深いコメントがあった。それは休養のため「高速水着がパフォーマンスを左右すると言った経験をしないことが自分にとってアドバンテージだった」というものだ。
 北京五輪で北島選手は短い下半身のみの高速水着を着用していた。しかしその後、彼が1年以上におよぶ休養生活を送っている間も、世界では高速水着化が加熱し全身を覆うスーツ型水着まで現れ、そして次々と世界記録が更新された。高速水着は水の抵抗を少なくするための素材や、体型まで変えてしまうほど強力な着圧があり、浮力が加えられ、それに合わせてフォームや技術を変更させるような事態にまでなった。こうした傾向に終止符をうつため国際水泳連盟は着用水着を制限した。

 本来なら長期のブランクは選手にとって大きなハードルとなる。その間、自身の体力と技術の低下、世界レベルの向上など多くの進化、変化が起きる。ロンドンに向けて彼はトレーニング拠点を米国に置き、自分の精神と技術に向き合ってきた。
 今回、北京五輪で高速水着を着用して出した自らの記録を上回ったのだ。これまでの成功体験に改良を加え、それを超えるにはかなりの覚悟と努力が必要だったろう。スポーツ選手は限られた時間の中で多くの取捨選択を迫られる。北島選手は道具による変化ではなく、技術、体力、そして内面的な強さを身につけながら限界に挑んできた。

 確かに道具の向上はスポーツを進化させてきた。しかし本来、その本質は人にあるべきである。「泳ぐのは僕だ」と主張する北島選手の泳ぎこそスポーツの真髄だろう。

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