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時計を巡る冒険

2017年3月4日日経新聞夕刊に掲載されたものです。

 今年の初夏に行うデナリ山遠征のため岩手県の安比高原で合宿を行った。その帰り、盛岡にある時計製造の盛岡セイコー工業(以下盛岡セイコー)を視察した。ここ盛岡セイコーには高級メカニカルウオッチ製造部門と、日本製が世界で70%のシェアを占めると言われるクオーツ時計の製造部門がある。
 興味を引かれたのはメカニカル、つまり機械式の時計。今の時計の主流を占める、電池と電子回路で動くクオーツに対して、歯車とぜんまいで動く時計である。

 盛岡にこうした高級メカニカル時計の工場が置かれたのは精密機械にとって重要な、きれいな水があることが一つ。そして東北人気質というべきか、粘り強い職人肌の人物が多いからだという。盛岡は独特の技法を伝える南部鉄器や、木の素材を生かした漆塗りの岩谷堂箪笥(たんす)などの伝統工芸がある。こうしたもの作りの職人気質は、小さな部品を組み合わせて調整し、修理する時計職人の気質と通じるという。
 その現場を見ることができた。岩谷堂箪笥による特注品のデスクが並ぶ。細かい時計のパーツがその上に広がり、顕微鏡とルーペを使ってこれらの部品と向かい合っているマイスターたちがいた。高級メカニカル時計には200個以上のパーツがある。それぞれが微細なもので、中には半径わずか0.3ミリ、シャープペンシルの芯ほどのものもある。時計の心臓部とも言える、髪の毛より細い金属のコイルをまいた「ヒゲゼンマイ」を支えている「ヒゲ持ちネジ」である。

 メカニカルウオッチの調整において職人たちは、歯車の組み合わせを指先で感じながら絶妙なバランスを整える。特殊な錐(きり)を手に、誤差をミクロン単位の極小のものにまで追い込んでいく。こうして出来上がったグランドセイコーの時計に求められる制度は平均日差(時計の1日の進みや遅れ)が+5秒から-3秒という。これは国際的規格のスイスクロノメーター(+6秒から-4秒)と比べても厳しいものだ。

 このたびメカニカルウオッチの分解と組立てに挑戦してみて、その精巧さに驚いた。普段、僕たちが山と向き合うとき、気象条件や雪崩などの危機管理に細心の注意を払うが、それ以上の集中力が必要であった。途中何度もネジを飛ばし、部品を壊してしまったが、組み上がった時計が動き出すと命を吹き込んだような新鮮な喜びがあった。


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