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父の心臓と家坂先生

2013年10月12日日経新聞夕刊に掲載されたものです。

 2007年、父と共に翌年に控えたエベレスト登山のために中国・チベット自治区にあるシシャパンマ(8021㍍)を登っていた。この遠征で、最も注意すべき点は前年に父が診断された心房細動という心臓の不整脈であった。
 心房細動とは洞房結節(規則正しく心臓が脈を打つために必要な電気信号を送るところ)以外の電気刺激が不規則に起こり、心房が細かく震え、心臓が十分に収縮しなくなる。そのために血栓ができ易くなり、脳梗塞や心筋梗塞の引き金となる。特に8000㍍を超える超高所登山の場合、脱水症状など深刻な事態を伴えば、こうしたリスクは飛躍的に上がる。

 そんな中、僕たちは酸素が地上の半分以下になる6000㍍までたどり着いた。父は激しくあえいでいる。そのつらそうな顔を見て「そろそろ下りようか」と話しかけたところ「大丈夫だ、絶好調の不整脈だ」と言って再び頂上に足を向けて登り始めた。この状況でも父のプラス思考は衰えなかったが、僕はこの遠征だけは山から下りるため、どのように父を説得しようかということばかり考えていた。

 その後、父は土浦協同病院の家坂義人先生(現在、同病院院長)の不整脈手術を受けた。2度の手術で心房細動はコントロールされた。08年、75歳でのエベレストアタック間際のことである。家坂先生はこう言われた。「雄一郎さん、あなたの心臓は完璧に動いています。心電図は手放してもよいけれど、つかんでいるロープは絶対に離さないでください」
 ユーモアたっぷりの家坂医師のゴーサインが弾みとなって75歳のエベレスト登頂に結びついた。

 家坂先生は心臓不整脈治療であるカテーテルアブレーションをいち早く日本に導入し、20年にわたり7000人以上もの患者を治療している。その中から患者の負担を軽減する「家坂方式」と言われる手法を編み出し世界的にも注目されている。その仕事は極めて繊細であり、経験と理論に裏付けされた鋭い直感力が発揮される。常に前向きで楽天的なところを、僕は「父とよく似ている」といつも思う。
 先週、父の再手術をお願いした。限界を超えた80歳のエベレスト登頂後、心拍数が増える頻脈が止まらなくなってしまったからだ。父にとって今回が5度目の手術となる。これからも父がなす大仕事を家坂先生のような方々が支えてくれるのだろう。

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