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生贄の祭事

2018年8月18日日経新聞夕刊に掲載されたものです。

 僕たちが7月一杯までトレーニングを行っていたチリのバジェネバドスキー場は、標高3000㍍以上の高所にあった。そのスキー場の最高地点であるトレス・プンタス(同3700㍍)からはエル・プロモ山を一望できる。
 同5430㍍におよぶこの峰は、この地域ではひときわ高く、チリの首都サンティアゴからもよく見える。古代インカ文明からの聖山とも言われている。
 1953年、その山頂で一人のラバ使いが幼子のミイラを発見した。調べてみると、約500年前に埋葬された8歳の男児のミイラであった。保存状態は完璧で、きれいなローブを重ね着して、コカの葉が入った布袋を持っていた。
 その子供はインカ帝国の「カパコチャ」によって生贄(いけにえ)にされたという。カパコチャとは戦争や天変地異、飢餓などの災いをしずめるために神に供物をささげるいにしえの祭事であり、その遺物はアンデスのいたるところで発見されている。1999年にも、ユーヤイヤコ山でカパコチャの生贄となった3体の子供のミイラが見つかった。やはり保存状態は完璧であったという。

 現代の感覚からすると残忍に思えるが、日本でも古くから人身御供、人柱などの事実が多くの資料に残っている。こうした風習の根源にあるものは、人知の及ばない自然の猛威に対する畏怖の念であろう。インカ帝国では、万物が神を宿していると考えられていた。恩恵とともに災いをもたらす自然をあがめ、目に見えない世界に道筋をつけるのが生贄となった死者の役割であったのかもしれない。

 日本の山岳信仰も、強く死を意識している。今では年に30万人が登るようになった富士山も、かつては修験道の山であった。修験道においては5合目から上の森林限界は「焼け山」と呼ばれた。焼け山は死の世界であり、富士山とはすなわちあの世とこの世を行き来する行為であった。
 登山が「みんなのもの」になった現代においても、先鋭的な登山家の挑戦は命がけである。高所登山、切り立った崖のフリークライミング、情報が極端に少ない未踏峰のすぐとなりには、死の匂いが漂う。しかしまた、彼らは死を意識する瞬間こそ自らの生を強く意識するとも語る。登山とは一面、自分の身を山にささげる祭事のようでもある。

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