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最高のホスピタル

2017年5月20日日経新聞夕刊に掲載されたものです。

 来年、ヒマラヤ山脈のチョオユー(標高8201㍍)に父の三浦雄一郎とともに挑む。そのトレーニングのため、つい先日までネパールのコンマラで合宿を張っていた。コンマラの意味は、コンマが雷鳥、ラが峠。雷鳥峠とはのどかな響きだが、同5400㍍に及ぶヒマラヤの一角のこと、実際はのどかどころではない。

 今回の遠征は、峠の横にあるポカルデ氷河でスキーをするのが最終目標だった。父は今年の冬の国内合宿で不整脈のため歩くのがやっとという容体で、昨年のチュクンリ(同5500㍍)も登頂できず、最高到達地点が同4300㍍。今回の遠征も、同4400㍍にあるディンボチェという村に着けば上出来と思っていた。
 遠征序盤はいつもの半分のペースで取り組んだ。父の心拍の様子を見ながら午後は完全休養、1日の移動標高は300㍍以内におさめる。すると父の体力と心拍は少しずつ改善し、高所順化と体調も安定して、予定通りにディンボチェ村にたどり着くことができた。

 ここからはキャンプをしながらコンマラのベースキャンプまで上がる。これまでの人気ルート、エベレスト街道から一歩外れた、ほとんど人のかよいのない谷間である。希薄で冷たく澄んだ大気が張り詰め、その中を雷鳥のさえずりが響きわたる。谷の合間からアマダブラムの山が威容を示し、背後にはローツェやヌプツェの峰々がそびえ立つ。5000㍍のキャンプに着いた後、夜中に目を覚まして外に出ると雪がしんしんと降っていた。朝には足首が埋まるくらいの積雪だった。僕たちはキャンプを移動するのに荷物輸送をヤック(高所の牛)に頼っていた。しかし、この先のベースキャンプに続く急登のガレ場は、雪が積もると、とてもではないがヤックには荷が勝ちすぎる。
 今回の本当の狙いはスキーよりも、むしろ父の様子を見ることにあった。父は不整脈もなく、体力も上がっている。用意した酸素ボンベに手をつけることもなく、高所に順応していた。まず満足すべき経過を確かめ、タイとしてはそれ以上のリスクを避けて下山することにした。

 遠征の総括として、父はこう記している。「山へ行き、自分のペースで動くことによって健康を取り戻すことができる。私にとって山とスポーツが最高のホスピタルであり治療、だんだん元気になり結果として若返り、体の中に再び夢に向かってのエネルギーが湧いてくる」。夢が父に力を与えている。


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