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80歳の頂へ 思い共有

2012年10月20日日経新聞夕刊に掲載されたものです。

 2003年、エベレスト山頂へ向けての最終アタック、僕らは標高8300㍍地点で2日間にわたるビバークを強いられていた。アタック開始からすでに10日目、天候の問題がなければ、とっくに登頂し、ベースキャンプで祝杯をあげていたはずだ。
 しかし、気まぐれな偏西風がエベレスト上空を直撃し、頂上付近は時速150キロの風が吹き荒れて、途中の第2キャンプ(C2)で5日間、第4キャンプ(サウスコル)で2日間、さらに山頂を目前とした最終キャンプ(C5)で強風に阻まれていた。
 大幅に予定が狂い、ここに来てほとんどの食糧、燃料、酸素ボンベを使いきっていた。翌朝、テントから出られないのなら、山頂アタックどころか安全に下山することも危うい。崖の隙間に張った鳥の巣のような小さいテントの中、風に吹き飛ばされそうになりながら深刻なミーティングを行っていた。

 その時、父雄一郎が登坂リーダーである村口徳行さんにした問いかけを僕は鮮明に覚えている。
 「村口君、もし今回のアタックを諦めたとして、いったんC2まで下り、態勢を立て直して、新たにアタックができるかね?」。しばらく沈黙後、村口さんは「・・・・可能です」と答えた。
 後で彼にその時の真意を尋ねると「これだけ長時間超高所でのビバークが続き、体力と物資が疲弊している中、一度でも下山したら再挑戦は不可能と考えた。あの時『可能です』と言ったのは、あくまでも雄一郎さんを安全に下ろすためだ」と答えた。

 幸い翌朝、風がやみ、僕らは無事登頂できたのだが、村口さんは当時を振り返り「それにしてもあの状況で立て直してまでエベレスト山頂を狙う雄一郎さんの考えには驚いた」と言った。父70歳の時だ。 
 先日80歳になった父は来年3度目になるエベレスト計画の記者発表を行った。父は「80歳の限界がエベレストの頂上であればこれ以上の喜びはない」と言った。父にしては少々控えめな回答だと感じて、その後、お酒を飲みながら同じ質問をしてみた。
 「安全策をとることが常にベストではない、時にはリスクを承知の上で挑むことが道を切り開く。登頂できるかどうか、それはあらゆる可能性を探り当て、希望の一瞬まであきらめないことだ」――これは父の本音なのだ。サポートしともに登る僕にとって、この思いを共有することが大切なのだ。

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