見出し画像

登山で心の平静

2015年12月19日日経新聞夕刊に掲載されたものです。

 先日、山形の出羽三山に「日本の名峰・絶景探訪」というテレビ番組で行く機会を得た。
出羽三山は月山を主峰とし羽黒山、湯殿山からなる。古くから修験道の修行の場であり、現在も羽黒山伏(修験者)が千人以上もいる日本有数の修験道の場である。

 そこで山伏として宿坊を営む星野文紘氏と話をすることができた。彼は白装束にホラ貝を持っていて想像していた山伏そのものであった。ところが実際に話をしてみるととても気さくな方で、登山と山伏の話で盛り上がった。
 星野氏によると出羽三山は山伏の中では羽黒山が現世、月山があの世、そして湯殿山が生まれ変わりを意味する。死生観に関わるような山を前に少し身構えた。そんな僕に星野氏は「何も構えることはない、考えるのではなく感じることが大事」という。

 以前、日本登山医学会の講演で「登山とセロトニン」というのがあった。修験者が山行を行うとき、脳内物質にどのように影響するかと言った内容で東邦大学医学部統合生理学の有田秀穂名誉教授が説明してくれた。それは一定のリズムで御真言を唱えながら雑念を排し、集中して山野を歩き回ることによって脳内物質であるセロトニンが活性化されるといったものであった。
 セロトニンの主な役割は自律神経のバランスをとり、脳を覚醒させることだ。これにより有田名誉教授は「覚醒のときの脳波であるβ波の中にα波(瞑想=めいそう=や睡眠等リラックス時に出る脳波)の増加とシータ波(まどろみ状態)の変化が見られる」という。さらに「前頭前野とセロトニン神経を活性化して大脳を変容させ、心の平静を発現させると推測される」と話していた。つまり山を歩くということは歩きながらの瞑想をしているのに近い状態という。
 これまでの登山でも、これに近い体験をしている。空気の薄いヒマラヤの高所登山でも呼吸と歩みのリズムを作ることによって意識がはっきりし全体を見渡せ、すべてを制御している感覚となる。

 登山はこうした感覚を山に登る過程で得る場合がある。山伏が山に入るのはこの感覚を基に超自然的な力を体得することが目的だという。どちらも入口が違うが、山という大きな存在により自分や自然について深く学ぶことになる。星野氏の話は面白く尽きることはなかった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?