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受け継がれる冒険史

2013年4月24日日経新聞夕刊に掲載されたものです。

 エベレスト・ベースキャンプへのトレッキング中、ラクパ・チリシェルパに会った。
 彼とパートナーのバブ・スヌワは2011年、エベレスト登頂後、8848㍍の山頂からパラグライダーで飛び降り、42分のフライトの後、シャンボチェ空港に着陸した。その後、2人はネパールからインドのベンガル湾まで850㌔をカヤックで下り、彼らはナショナルジオグラフィックの冒険賞を受賞した。

 この大冒険について、僕は以前、有人で世界的パラグライディング選手である扇澤郁さんから聞いていて、彼らがエベレストの山頂から飛び立つ記録映像を見せてもらったことがあった。2人はエベレストの山頂に立つと、パラグライダーの翼を広げ、中国側の切り立った崖に向かって走った。突然足元が開けた直後、上昇気流を捕まえ、山頂よりも数十㍍高い地点まで飛び上がり、旋回、装着されていた小型カメラに再びエベレストの山頂が映った。
 2人は大きな遠征隊ではなく、ラクパが登山計画、バブがパラグライダーを担当、小型カメラを持参して「エベレストの頂上からパラグライドで飛び立ち、カヤックでインドまで行くことを一つの冒険に詰め込んだら楽しそうだ」という思いで実行した。

 その姿は父に重なる。43年前、エベルストからスキーで滑り降りたらどんなに面白いだろう。ワクワクした好奇心で父はエベレストに登り、パラシュートを背負いローツェフェースの直滑降を行った。
 この時の記録映画「The Man Who Skied Down Everest」(エベレストを滑った男)は米国アカデミー賞を受賞した。
 その後、招待されたフランスの冒険映画祭で、フランスのジャーナリストから父の冒険についてこう称された。「登山史にとっての最初の1ページはウィンパーが最初にマッターホルンを登ったことから始まった。2ページ目はヒラリーとテンジンがエベレストに立った時。ユウイチロウは登山にさらなる冒険を加えたことで登山史の3ページ目を開いたことになる」

 ラクパは人懐っこい笑顔で父に握手を求めてきた。2人が肩を組み一緒に写真を撮ったとき、43年前に父が開いた3ページ目は、脈々と新たな章として若き冒険家たちに受け継がれていることを感じた。そして父は年齢を超え、いまだに現役として新たな登山史のページを開こうとしている。

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